際限のあるデザイン
「新聞の銘柄を選んでいただけますが、どちらになさいますか?」
先日宿泊したホテルのチェックインで、一瞬なにを聞かれたのかわからず固まってしまいました。紙の新聞を取らなくなって久しいですが、おそらく新聞サービスをやめたホテルも多いのではないかと思います。
少し懐かしさを感じつつも、ペーパーレスの時代だしむしろ「いりません」と断ろうかと思ったのですが、ふと気になって読んでみることにしました。
実は昔から紙の新聞は苦手です。どうやっても心地よく広げられないし、自分の視野よりだいぶ外に見出しが広がっている気がする。「UI」としてあまり好きではなく、今回もまったく期待していなかったわけですが、これが思っていたよりもずっと心地よさを感じてしまいました。私、腕が長くなった?
腕が伸びたのかどうかはともかく、はっきりと心地よさを感じた部分がひとつあります。それは「際限があること」でした。
繋げることの価値を生み出したWorld Wide Web
そもそも「際」を超えていままで繋がっていなかったものを繋げることで価値を作ってきたのがWorld Wide Webです。
いまとなってはもう思い出せない世界ですが、それ以前は情報は紙の中に独立して存在しており、そこから他の情報に一瞬でジャンプすることはできませんでした。「ハイパーリンク」という技術は、人々の情報へのアクセスの仕方を抜本的に変えたのです。
それから今日に至るまで、いかに「手軽に情報にアクセスできるようにするか」がデザインの考え方として大きな部分を占めてきたのではないでしょうか。
無限にコンテンツが出てくる体験
みなさんは「紙の新聞の終焉」がしきりに叫ばれていた2010年代の前半を覚えていらっしゃいますか? 私は当時イギリスでの修士課程を終えたばかり。同級生たちがこぞって有名な新聞社に入り、新しい時代のより良い「読む」体験を追求していたことを印象的に覚えています。
当時はFacebookやTwitter、Instagramなど、SNSの文化が広まってきた時期でもありました。これらのプラットフォームがデザインのトレンドを牽引し、タイムラインというUIのフレームワークが流行りはじめた中、「良いユーザー体験」としてもてはやされたのが「Infinity scroll(無限スクロール)」です。ユーザーが意識的にボタンを押し次のページを読み込んで表示させるのではなく、スクロールしていけば際限なくコンテンツが出てくる。そのうちSNSだけではなく、銀行のシステムからオンラインショップまで、このパターンが広まっていきました。
もうひとつ、SNSのデザインパターンが広まった例がパーソナライゼーションやレコメンデーションではないでしょうか。ユーザーの行動に基づき「これもオススメ!」と次々にコンテンツを表示させるパターンは、「セレンディピティ」のある体験を目指すというゴールの元、さまざまなサービスで採用されました。こちらもまた、際限なくコンテンツが出てくる体験設計です。
無限の弊害
もともとこれらのデザインパターンは、ユーザーにより良い体験を届けることを目指して作られてきたものです。ですが振り返ってみると、結果的に良いことばかりだったわけではないように思えます。
物理的なフィードバックがないデジタル空間において、サービスの成功を測る指標としてメジャーなのは滞在時間やインプレッション、クリック数などでしょう。もちろんそれ自体が悪いわけではありませんが、数字をあげるためにユーザーを画面の前に引き止めることばかりに注力してしまうと、ユーザーの、特に精神的な健康が蔑ろにされることも起こり得ます。手法だけはユーザー中心なのですが、真にユーザーのことを考えているわけではなく、ユーザーの行動データを分析しビジネスに都合のいい形で次の行動をコントロールするわけです。
やがて一部企業の姿勢はデザイン業界内外から批判されるようになりました。2020年に公開されたNetflixのドキュメンタリー「The Social Dillemma」では、大手SNSの仕様がいかに若い世代に精神的な悪影響を及ぼしているかを痛烈に批判しています。ユーザーに喜んでもらうためだったInfinity Scrolling(無限スクロール)が、逆にユーザーの幸福度を下げ、ついにはDoomscrolling(ネガティブな情報ばかりを見てしまう現象)と呼ばれるような体験まで出てきてしまったのは悲しい限りです。
「際限」を用意する
ですが、クリエイティビティは進化を推し進めていくもの。当然ながら、数年前からそうした問題に取り組もうとするプロダクトも出てきました。
たとえばAppleやGoogleは、デジタルウェルビーイング(Digital Wellbeing)など、デバイスを使用する時間を制限する機能を整えてきましたし、Slackも通知が行きすぎないよう体験設計を改善してきました。これらは「際限」を設け、ユーザーが画面から離れやすいようにする体験設計です。
また、最近Z世代に人気と評判の「BeReal.」というSNSをご存知でしょうか? このアプリは1日に投稿できる回数が決まっており、しかも1日の最初の投稿はランダムな時間に通知がくるそうです。その通知から2分以内に撮影、無加工で投稿、自分が投稿しないと他の人の投稿も見られない……など、さまざまなルールがあります。ゲーム的要素を取り入れているのかもしれませんが、逆にその制限が新鮮な体験を生み出しているように思えます。
また、私は去年からSNSサービス「Bluesky」を使い始めているのですが、そのユーザーが好みそうな投稿をランダムで表示する「For you」ではなく、きちんと時系列で投稿が並ぶ仕様だと、前回見たところから最新までざっとスクロールするとそこで一旦終わるので、これもまた「際限のある体験」だと感じています。
際限のあるニュースアプリ
冒頭の話に戻り、ニュースアプリの体験はどうでしょうか。ホテルでの紙の新聞体験に小さな感動を覚えたあと、しばらく本気で紙の新聞の購読に戻そうか迷っていました。しかし、紙ゴミが増えるのはどうも……ということで辿り着いたのが「紙面ビューアー」、各新聞社が提供している紙の新聞のレイアウトのままデジタル版で読めるサービスです。筆者は日本経済新聞とFinancial Timesの紙面ビューアーを利用しているのですが、これが驚くほどしっくりきています。
大きく広げて読む前提のコンテンツがiPadサイズになるわけですから、ズームイン・アウトの使いやすさは必須です。しかしそこさえクリアできれば、「繋げる」「ダイナミックに形を変える」などのデジタルならではの強みも活かせます。私が使っているアプリでは、紙面のタイトルにハイライトのアニメーションが入り、俯瞰しやすかったり、読みたい記事を開くと紙面ではなくオンライン版のレイアウトに切り替わったり、音声で読み上げることができたりします。少しだけ「繋がる」良さを取り入れつつ、「際限ある」体験が実現されているおかげで、朝ニュースを読む効率が上がりました。
テック業界が考えるべきこと
自分たちが情熱を込めて作ったものをなるべく多くの人に使って欲しい、と思うのは自然なことです。また、ビジネスとして課せられたKPIもあるでしょう。
変わらなくてはならないのは、「測り方」かも知れません。ユーザーの滞在時間が長ければ、もしくはインプレッションが多ければそれは「良いプロダクト」と言えるのか? 現在の測定方法で、本当の意味でのプロダクトの価値、また逆に弊害まで測れているのでしょうか。
自分の健康に害があると気付いた人は、結局最後はそのプロダクトから離れていくものです。他業界が長い歴史の中で向き合ってきたように、テック業界でも企業倫理とリリースするプロダクトへの責任についての議論がもっとでてきてもいいのかも知れません。
最後に、以前Spectrum Tokyoのインタビューでもお話した私が好きなゲーム「Mother」について少し。このゲームは少年少女たちがモンスターと戦いながら冒険をするRPGなのですが、長い時間遊び続けていると「パパ」から電話がきます。
「だいぶながいじかんぼうけんをつづけているようだね。おせっかいかもしれないが、ちょっときゅうけいしてはどうだ?」
「パパ」の声を通して聞こえる開発者側の気遣いでしょうか。このように、相手を気遣う心が見える形でユーザーを促す仕組みを考えるのも、デザイナーの腕の見せどころかもしれません。