90年代風Webデザインに学ぶ、殻を破りユーモアを持って仕事をするマインドセット
本記事は北欧のデザインメディア DeMagSign の翻訳記事です。
元記事はこちら:Breaking The Mould: Being Authentic In An Era Of Expectation
(2020年5月の情報に基づき翻訳・編集した記事です)
すばらしく、そして奇妙でもあった90年代のインターネットの世界。Kjegwan Leihitu氏は、自分自身に正直であること、そして型にはまらずに思考することの大切さを思い出させてくれます。
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Kjegwanは自らのことをデジタルデザイナーであり、熱心なYouTubeコメントの読者でもあると提言しています。彼は現在、13年間務めているMediaMonksのリードデザイナー兼チームリーダーです。
彼はDesign Matters 19で、アディダスと行った仕事をテーマに登壇しました。今記事では、彼自身の90年代に対するノスタルジーと思いがけない出会いがもたらす喜び、そしてプロフェッショナルとして仕事をすること、遊び心を用いることの境界線について話してくれました。
── あなたが制作したアディダス ヤングシリーズのWebサイトについて聞かせてください。もともと、楽しいWebサイトを作ろうと考えていたのですか?
はい、意識的に面白いもの、楽しいものを作ろうと考えていましたが、これは90年代という時代背景が大きく影響しています。90年代はすべてが面白おかしく、真剣さに欠けるような時代でした。私たちの仕事が「面白おかしくすること」だったのではなく、ただこのWebサイトを90年代風にしたかっただけなのです。また、このプロジェクトに参加したメンバー全員が90年代に育った人たちだったので、自分たちの子ども時代の思い出をよみがえらせたかったという理由もあります。
── このWebサイトは、本当にノスタルジックな気分にさせてくれますね。90年代は「平和の10年」とも呼ばれるほど、多くの人が心配とは無縁な時代だったと記憶しています。現代とは異なる感覚があった90年代のことを恋しく思う人が多いでしょうね。
もちろん、誰でも子どものころとはすべてが違ってみえるものですが、同時に90年代を「すべてがよかった時代」という人が多いのも事実ですね。たしかに、政治的な問題もあった10年間ではありますが、テクノロジーやデザイン、アニメーションの分野でさまざまなことが起こり、人々の注目をぐっと引き寄せたのが90年代という時代なのです。
── あなたのチームがアディダスのWebサイトを制作したときには、どのように進めたのですか? どのような方法ですべてのエレメントを集めたのでしょうか。
ご存知とは思いますが、クライアントになにかを提案するときには繰り返し実物をみせて、フィードバックをもらいながら作り上げていきます。このプロジェクトで面白かったのは、提案した内容と最終成果物がほとんど変わらなかったことです。最終成果物は、私たちが子供のころに実際にみていたものと、今回リサーチしたものが混ざり合ったものになりました。
私たちは「USGSやAngelfireのWebサイトはどう?」というように「これ覚えている?」「あれ覚えている?」と言い続けていました。昔あったものを改めて目にし、「そういえばこんなひどいものだった」と記憶がよみがえってきましたが、「やるしかない」と自分たちにいい聞かせてそのまま使うことにしました。
たとえば、90年代のWebサイトを知っている人はサイトの訪問者を数える壊れたカウンターを覚えていますか? もちろん、その機能も採用しましたよ。そのほかにも訪問者の足跡帳をはじめとして、どれもこれもタイムマシンに乗ったかのような懐かしいエレメントを採用しています。このWebサイト上にあるすべてエレメントが、在りし日のインターネットの姿を思い出させるものです。見た目は悪くてもきちんと動く、そして作って楽しい、これも私たちの仕事における楽しみのひとつでした。
── Design Matter 19であなたがこのWebサイトを紹介したときは、これを気に入らなかった人やなにかの冗談だと思った人もいたと聞きました。
実に面白いことに、おっしゃる通りです。Design Matters 19でプレゼンテーションを聞いた人の多くは、ニコニコしながら近寄ってきて「まさにその世代で育ちました。あの素晴らしい時代を思い出させてくれてありがとう!」といってくれました。しかし反対に、「なにがよいのかわからない」という意見もありました。このような意見は、とくにネット上で多く目にしました。彼らはスムーズに動くWebサイトに慣れているからでしょう。しかし、このプロジェクトの目的はユーザーを90年代に連れていくことでした。批判的な声を上げる人は、アニメーションの滑らかさやWebサイトの動作など見た目だけに注目して、その背後にあるコンセプトを理解していないのです。
もしかしたら、90年代を体験していない若い人もいるかもしれませんし、単に90年代が好きではない人もいるかもしれません。90年代を体感していない人は、いまみているこのWebサイトがなんなのか理解することは難しいでしょう。ある程度の年齢の方と話をすると、ほとんどの人が「あの時代を覚えているけれど、美意識がひどかった」と笑顔でいうのです。
── ひょっとしたら20年後か30年後くらいに、誰かが同じことをするかもしれませんね。現代のデザインを模倣して、同じように賛否両論を呼ぶかもしれません。あなたが試行錯誤を繰り返して最終的なプロダクトを作り上げる過程で、クライアントを納得させるのは大変ではなかったですか?
彼らは最初からこの方向性を気に入ってくれていました。だからこそ、原案からほとんど変わらなかったのです。クライアントであったアディダスは、私たちがなにを作っているのかをわかってくれていたのだと思います。彼らからのもっとも「難しい」注文は、白い背景に黄色いテキストを表示しないでほしいというものでした。彼らもそれが90年代らしさであるということは認めていましたが、さすがに読めないのは困るということでした。私はそれでも構いませんでしたが。
── クリエイティブと予算の面で一切制約のない風変りなプロジェクトを手がけることができるとしたら、どんなことをしたいですか?
難しい質問ですね。まずさまざまなテクノロジーとその実装方法について徹底的なリサーチを行うでしょう。ある技術に投資して、それが20年後にどうなっているかを探る、そんなアプローチをしてみたいです。予算が無制限に使えるのであれば、デザインやWebデザインにおける人間らしさをどう進化させられるのかを研究をするのも面白いかもしれませんね。まだ世の中に無いものを、ゼロベースで考えることになります。イノベーティブな思考に特化した会社と契約できるなら、こうしたことを研究する余地は大いにあるはずです。
── 未来的なものということでひとつ思いつくのは、宇宙の民間利用の追求です。たとえば、Elon Musk氏のSpaceXは火星への移住を可能にするレベルで、宇宙までの交通の発達を目指しています。しかし、こうした実験的なプロジェクトには継続的な資金源が必要で、誰もがそれをもっているわけではありません。
あるクライアントが、「将来この会社がどんなことに役立つことができるのか、考えてみてほしい」と依頼をしてきました。その技術は存在する必要すらなく、まるで『ブラック・ミラー』のエピソードに登場するようなものでした。『ブラック・ミラー』ではテクノロジーのネガティブな面が描かれることが多いですが、未来志向のプロジェクトにおいては、ポジティブな面がいくつもあると思っています。人類にとってよいことをするチャンスがあるわけですから。新型コロナウイルスもポジティブな側面とネガティブな側面があった事例ですね。他の人たちと一緒に暮らしながら、どうすればすべてをよりよくできるのか。どうすれば、物事をよりシンプルに、よりよくすることができるのか。これらの問題を解決するには、たしかに多くの費用がかかると思いますが、予算があるのであれば、できることはたくさんあるはずです。
── デザイナーたちはこのパンデミックの間にクリエイティブなアイデアを思いついているのでしょうか?
いえ、まだでしょう。しかしいまの時代はたくさん時間があるので、その分アイデアが生まれるチャンスは多いはずです。もし十分な時間がないという人がいたら、なにかが間違っているということでしょう。アイデアの種に十分な注意を向けることができていないのか、進んでいる方向が違っているのかわかりませんが、私はまだ驚くようなアイデアには出会っていません。
思いがけずそういったものに出会うケースもあります。たとえばYouTubeで、色覚異常をもつ人たちが新たに開発した特殊なメガネのおかげで初めて色を認識するという動画をみました。この動画をみたときは非常に感情的になりましたが、このメガネの開発者は偶然から生み出したのだという記事を読んだことがあります。
開発者は別の目的のためのメガネを作っていたのですが、それが偶然、色覚異常を持つ人たちが色をみるのに役立つという発見を得たのです。つまり彼は、もともと考えもしなかった用途に自分のプロダクトが非常が役立つということにたまたま気付いたのです。このことから、なにかに投資したり作ったりすることは、望んだ形とは違ってもなにかの役に立つことがあるといえます。
── たとえばNeil Harbisson氏というアーティストには、生まれつき色覚異常がありました。彼は21歳の時に、まるで頭に付けられたアンテナのように見える風変りな装置で色を音に変換するようになり、いまでは色を「聴く」ことができています。デザインを面白いものにしようとすることに、限界はあるのでしょうか?
ユーモアは目立つため、人々の記憶に残るために有効な方法のひとつです。もしアプリにほんの少しのユーモアを加えれば、人々はそれを記憶するでしょう。おかしなテキストや写真を使えば、それをみた人は笑顔になり、心に残ります。誰に向けたプロダクトなのかを考え、ユーザー次第でアプローチを調整しなければなりません。クライアントやユーザーの記憶に残るように、ちょっと面白いものにする場合もあるでしょう。これは、作品のポートフォリオを作るうえでも重要なポイントです。慣例に囚われずに考えるということは、誰の真似もしないで作品を作ろうとするわけですから、Dribbbleをみて手がかりを探すようなことではありません。
みた人を笑わせることやユーモアを用いることは、仕事を探すときにももちろん役立ちます。以前に、インターンに申し込もうとしている人から「上司にどんなメールを送ったらいいでしょうか?」と相談を受けました。私は、「ちょっと個人的な内容にしたらいいよ。なにより、楽しいものにすることだ。相手は毎日同じようなメールを読んでいる人だからね」とアドバイスしました。そこで彼は、自分が「ロックダンサー、ブレイクダンサー兼デザイナーである」と書いたのです。この個性的なメッセージは上司の目にいちばんに止まり「面白い。彼にはすごい可能性があるね」といったらしいのです。ユーモアを使えば、目立つチャンスも得られるかもしれません。
── 「死」に対してすこし皮肉的でありつつ不快に感じさせないスローガンで有名なTaffoというイタリアの葬儀会社があります。Taffoのブランド作りを担当したKIRweb社はまさにこれを実行したということになりますね。彼らは、一般にはタブーとされているものにユーモアを導入したわけです。
これは面白いですね。ほんのちょっとのユーモアが、すごいことをしでかすことがあると思います。時には張り詰めた空気を一気に変えることもできるのです。クライアントにプレゼンするときもそうです。私たちは事前に、ふざけ過ぎないようにと釘をさされることもあります。プレゼンは基本的にくだけたもので、プレゼンというよりも会話に近いものです。私たちはたくさんのGIFを使います。この方法はとても有効で、たったひとつのミームやGIFが言葉よりも饒舌なこともあるのです。
── 面白いだけでなく、デザインを記憶に残るようなものにするための秘訣はありますか?
なにか面白いものに出会ったとき、人は面白かった理由を記憶します。それはなんらかのインタラクションかもしれませんし、GIFかもしれませんし、なにかのクールなエレメントかもしれません。もし誰かが、自分のしたことをその面白さゆえに認識してくれたなら、いい仕事ができたと誇ってよいと思います。無数のものが溢れているネット世界の中で誰かの目に止まったのですから、それは違いを作ることができたということです。
トーンオブボイスも重要ですね。たとえば、ポートフォリオで、「こんにちは、私の名前はXです。デジタルデザイナーです」と書いてあってもつまらないです。面白いセリフがひとつでもあれば、個性が出ますよね。トーンオブボイスによって、他の人と差をつけることができるのです。
── あなたのWebサイトはすばらしいですね。私には、あなたが個性を出すことを恐れていないばかりか、自信に満ち溢れているようにすら思えます。
ありのままの自分が気に入らないなら、自分にとって居心地のよいあり方にこだわればいいのです。私の場合はポートフォリオに、中指を立てたGIFとボイスオーバーとくだらないCTAを載せています。同僚は皆、「バカバカしくって冗談好きな君そのものだね」といいます。誰に対しても同じことがいえます。Webサイトは、オンラインにおけるあなた自身なのです。それに、ほんの少しのユーモアは誰も傷つけません。
── これまでに、冗談のつもりで使ったユーモアが大失敗に繋がったことはありませんか?
しょっちゅうあります。面白いことを思いつくと私はその考えを数日寝かせるのですが、たいていの場合は「これはよい考えではなかった」という結論に至ります。自分が面白いと思うことが、ほかの誰かにとって不愉快であることもありますから、バランスを取る必要があります。
私はたくさんの失敗をしてきましたが、同時に自分が考えたジョークがおかしくって笑ってしまうこともたくさんあります。要は、私は楽しんでいるのです。これは、自分の作品を作っているときもいえることで、クライアントや他人の好みは関係ありません。それでも、私の制作物を気に入ってくれる人がいるのであれば儲けものです。自分が好きで作っているものを、ほかの人も気に入ってくれるということですから、これ以上嬉しいことはありません。自分のオーディエンスが自分に近い感性をもっていて、同じようなものを好んでくれたらありがたいです。
── 俳優でありコメディアンのRicky Gervaisがかつて言っていたことを思い出します。「道を歩いていて、ギターレッスンの大きな看板広告をみたら、問い合わせの電話をかけるどころか、ギターレッスンなんていらない!と叫んで立ち去ってしまうだろう」。これは今日(こんにち)でいえば、興味のない広告をソーシャルメディアで見つけた人が、黙ってそのページを閉じるのではなく、自分の意見を書き込みたい衝動に駆られるということでしょう。ネット上で自分の意見を伝えたいと思う人は多いですが、実生活の中で同じようにしたいと思う人はそれほど多くありません。あなたは、Twitterでもこの現象をみたといっていましたね。人々があなたのデザインについてネガティブなコメントを書いたそうですが、それにはどのように対応したんですか?
まあ楽しんでいますよ。年齢を重ねれば、物事に対して不平をいうことは減ってくるものです。たとえば、誰かの靴がダサいという人がいたとしても、持ち主が気に入っているならそれでいいのです。誰かが私のデザインやポートフォリオを嫌いでも、私自身がそれを好きなので、私は気にしません。自己中心的に聞こえるかもしれませんが、実際のところ私は誰かのために作品を作っているわけではなく、自分のために作っているのです。
ソーシャルメディアについても同じことです。「もし『いいね』のためにやっているのなら、それは方向が間違っている」という意見を目にしました。まったくその通りで、私は誰かのためになにかをしているわけではありません。誰かが私の作品についてどう思おうと、私は自分の作品が好きですし、こう思えることが作品を作ることで得られる喜びです。
ネガティブなコメントを書く人はかなり前からいますが、なぜそんなに目くじらを立てるのかわかりません。そのコメントをみてネガティブになる必要はありませんよ。私自身が決してネガティブにならないというわけではありませんが、私だったら、なにかを気に入らないということを書くためにネットを訪れることはないです。気に入らなければ、みなければいいだけなのですから。
Written by Giorgia Lombardo (Design Matters)
Translation brought to you by Spectrum Tokyo