デジタルデザイナーが日本の陶芸家から学べることとは
本記事は北欧のデザインメディア「DeMagSign」の公式翻訳記事です。
元記事はこちら:What Can Digital Designers Learn from Ceramicists? Denmark Meets Japan.
2020年に開催されたDesign Matters Pop-up in Tokyoのあと、デンマークと日本のクリエイティブデザイナーが出会ったらどんなストーリーが語れるか興味を持ちました。そこでデンマークと日本を象徴する二人の陶芸家、Jutland州Horsensを拠点とするAage Würtz氏と、埼玉県出身の野口悦司氏と話す機会を設けました。
2人は陶芸に捧げてきた人生についてDesign Mattersと対談しました。この対談を通してデンマークと日本のアートの文化的な違いを浮き彫りにし、2つの国のつながりと違いや、お互いから何を学ぶことができるのかを知ることができました。
Würtz氏はこの世界に生きづく呼吸や、思いがけない創造的な表現にインスピレーションを求めますが、野口氏が重視するのは、まったく別の分野の技術を創作に生かします。Würtz氏は、施設で学んだという職人の技術で伝統的な背景を作品に生かしている一方で、野口氏は、彼が深く尊敬する一人の巨匠から指導を受けています。
──インスピレーションはどこから得ていますか?
Würtz:Jimi Hendrixです!インスピレーションは、フィーリング、つまり粘土のフ ィーリングを感じることから得ます。他のアーティストと違って、私は空を見てインスピレーションを得ることはありません。デンマークには多くの陶磁作品がありますし、日本の伝統的な陶磁作品からもインスピレーションを受けます。
Nomaなどのミシュランレストランのために陶器を制作しましたが、プロのシェフに出会い、彼らから大きな影響を受けました。私は彼らの中に、私自身が見ているのと同じような情熱を見出しました。ニンジンの切り方ひとつとってみても、情熱が感じられます。私は年寄りですが、2005年にNomaの人たちに会ったとき、私と同じ考えを持っていてとても刺激を受けました。彼らは私と同じように考えているからです。彼らは私を自分の仕事の師匠のように扱ってくれますが、彼らの中には熱意と美しさが感じられます。私が興味を持ったのは、仕事のプロセスではなく、エネルギーなのです。料理人は職人気質です。食べものを作るために死ぬのです。私たちアーティストはギリギリのところで生きていて、それはとても恐ろしい生き方です。何か問題が起きれば大惨事になるし、私たちはよく泣きます。
私がシェフたちについてもっとも尊敬できることは、彼らが常に規律を持って一緒に仕事をしており、多くの人をまとめていることです。1日に2時間しか仕事をしない陶芸家や、何もしないで仕事にエネルギーを使わない人などと比べて、彼らシェフたちのコラボレーションには知恵が必要になっていると思います。
──Würtz氏の姿勢は、デジタルデザイナーに影響を与え、従来のインスピレーションの領域の外に目を向けさせ、いままで気づかなかった新たな発見をもたらすかもしれません。古くからの陶芸家は、デザインの始まりから制作の終わりまでプロジェクト全体を見通す、伝統的な方法を用いているアーティストの象徴とも言えるでしょう。これは、素材が無駄になることがなく、常に編集や手直しを行うことができるデジタルデザイナーにとっては、異質なことかもしれません。陶芸家にはミスは許されませんし、少しのミスが製品に大きな影響を与えます。不完全な可能性があるからこそ、製品はユニークで美的感覚に優れているのだと思います。デザインの世界で、このような予測不可能な生産方法を、プロセスの改善に応用できないでしょうか。
野口: 私のインスピレーションの源は、私の師匠である中里隆氏です。彼は私の最初の、そしてもっとも重要なインスピレーションの源であり、私にもっとも大きな影響を与えた人物です。彼は83歳になってもまだ現役です。旅と仕事と食べることが好きな人で、いまも寿司屋や蕎麦屋などの日本料理のための陶器を作っています。アメリカなどを旅して仕事をしています。アーティストのためのワークスペースとして評価の高いGuldagergaardにも行ったことがあるそうです。いろいろな経験をすることで、新しいアイデアが生まれるのだと思います。モノの作り方や好みも変わってきていますし、いまは日本以外の国も視野に入れて、みんなのために作ることに力を入れていますので、いま作っているものは寿司や蕎麦のための作品にとどまりません。
──日本とデンマークの共通点や、つながっていると感じる点を挙げていただけますか?
Würtz:シンプルさやミニマリズムですね。
野口:どちらも比較的シンプルな形をしていることですね。デンマークのお皿は、料理をよりきれいに見せてくれるし、手触りも良く、料理をポップに見せてくれます。
──失敗作をどのように定義しますか?
Würtz:形ですね。良い製品とは、ある意味で沈黙していなければならないし、独自の生命を持っていなければなりません。粗悪品を作ってしまうと、私の心は台無しになってしまいます。私はまだ満足のいく作品を作ったことがなく、いまも探し続けています。欲しいものはわかっているし、要素を見て、可能性を見ています。形や釉薬や大きさではありません。小さな作品をとても好きになることもあります。
──100%の満足は得られないというのは、あなたも同じですか?
野口:満足することはないでしょうね。過去の作品を振り返ることもしたくないです。
──職人技はどのようにして受け継がれていくのでしょうか? Würtz氏の息子さんのKasperさんは、あなたの姿を見て陶芸に熱中したのですか?
Würtz: いやいや、むしろ私が背中を押したんです。それで彼は比較的早くから陶芸を始めました。彼は文学を学んでいたのですが、技術的な学習をすることに行き詰まり、それを教える道しかなくなっていたんです。彼はいつも私と一緒に仕事をすることに興味を示していたので、数年後に私が病気になったときに、自分の役割を息子と交代しました。
──野口氏は、そのノウハウを誰かに伝えているのでしょうか?
野口: 直接はありませんね。私の師匠は14代目で、その下に2人の若い世代がいます。いまは息子さんもお孫さんもスタジオで働いています。私は日本に小規模なスタジオを持ち、そこで一人で仕事をしています。
──あなた方の経歴について教えてください。どこで教育を受けたのでしょうか?
Würtz:私はまず、ArhusにあるKunstakademietという美術アカデミーで職人としての教育を受け、その後、姉のMarie Würtzが私の師匠となりました。その間、デザインミュージアムにも足を運び、日本や中国の陶磁器、そして極東の鍋なども目にしました。彼らの製品は違っていて、私はその理由を探ろうとしましたが、できませんでした。私には真似のできない何かがあったのです。今では、私はそれらがどのように作られているのかを知っていますが、私の陶器はこれらの地域の製品をベースにしたものではなく、感覚に基づいたものです。
野口:私は陶芸を始める前、サーフィンに夢中になっていました。スポーツが好きなのと同時に、ボードがどのように作られているかにも興味がありました。幸いなことに、東京近郊のサーフボード工場に就職することができました。サーフボードは手作業で作られているため、非常に多くの職人技が必要です。3年が経過した頃、サーフボードの製造には毒性や化学的プロセスが伴うため、より自然な要素を使った工芸品を探求するようになりました。そこで、陶芸の可能性に気づいたのです。そこで、サーフィンをしながら陶芸を学べる場所を探しました。私は当時、神奈川県に住んでいましたのですが、日本の南部には種子島という島があって、そこは波が良くて有名なんです。そこに陶芸工房があったので、弟子入りさせてもらうことにしました。1999年に移住しました。学校には行ったことはありません。
──陶芸についてもう少し詳しく教えてください。
Würtz: キルケゴールの作品を読んだことがあれば、彼の作品には「反復」の感覚があります。同じ瞬間を2度体験することはできないけれど、そのつながりを彼の文章の中から見いださなければなりません。私の陶器には、自分ではコントロールできない偶然がたくさんあります。人間はすべてをコントロールしたいと思っていますが、それはできません。私の陶器の中には安定した要素があって、それを故意に乱すことはできますが、同時コントロールできない外的要因もあります。私の陶器の釉薬は何層にもなっています。私は自分の陶器を日本のものとは呼びませんが、日本の陶器、特に日本の装飾方法は私の世界を変えてくれました。
──お二人の出会いは?
野口:Würtzさんを見つけたのは私です。彼の作品は日本でも大きな影響力を持っていたので、デンマークに来る前から彼の作品を知っていて、それが訪れたいと思った理由のひとつでした。また、家具やデンマークのデザインにも興味がありました。単純に、ファンとしてデンマークを訪れたのです。
Würtz:私は日本に行ったことがありません。野口さんが私のところにきてくれました。私は自分の小さな輪の中にいるだけです。でも、日本人の陶芸のやり方を見て、その技術を尊敬しています。いつの日か、野口さんと何かを一緒にできるといいなと思っています。
──同じスタジオでどのように協力して仕事をしているのですか?
Würtz:私たちは別々に仕事をしています。野口さんは私たちのワークショップのための仕事をしたあと、自分のためになにかをします。一緒に製品を作ったことはありませんが、お互いに刺激し合っています。黙々と仕事をしていますが、必要なときには仕事の話をたくさんします。私たちは、自分たちの作品を展示する展覧会を開きたいと思っています。
Würtz:クレイデザインはもう流行らないでしょうし、陶磁器を作って生きていける人はあまりいないでしょう。また、デンマークではクラフトマンシップが失われ、ほとんどのものが大量生産されていると思います。一方、日本では弟子が働いて精進しなければ、尊敬する師匠のもとに行く機会を得ることができません。また、残念なことに、日本の教育は西洋の教育に似てきています。デザインと制作が分離してしまったのです。デザインと制作が分離し、制作から完成までを一貫して行うアーティストが減り、師匠と一緒にいることが過去のものになりつつあります。新しい世代の陶芸家のように、今のデザイナーはプロセスの一つの側面に集中できます。
野口:日本では、陶芸は非常に伝統的なものです。世界でもっとも古い伝統のひとつであり、縄文時代に由来します。しかしこの仕事をしたい人ががいなくなってきてしまい、伝統が失われつつあります。伝統的な陶磁器作りは、粘土、窯、設備や人手が必要で大変ですが、いまは供給会社から粘土を購入し、電気窯を購入すれば、流れ作業で簡単に商業用の陶磁器を作ることができるようになってしまいました。だからこそ、粘土の作り方に時間をかけられなくなったのだと思います。
この2人は伝統的な製法を忠実に守り、何十年も前から職人の作品を作ることで陶磁器を存続させています。
Written by Ella Braimer Jones
Translated brought to you by Spectrum Tokyo