モノの目線で世界を捉えることから視える、未来のデザインの可能性
本記事は北欧のデザインメディア DeMagSign の翻訳記事です。
元記事はこちら:Seeing Reality From An Object’s Perspective Can Help Us Design For The Future
機械は、私たち人間とはまったく異なる方法で現実を「体験」しています。デザインフィクションを通して、機械からの視点で世界をみることで、思いもよらない未知のデザインソリューションに出会えるかもしれません。
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Simone Rebaudengo氏はプロダクトデザイナーであり、インタラクションデザイナーです。彼の主な仕事は、未来を実験的に構築し、ネットワーク化されたスマートで自律的なモノと関わりながら生きることについてのヒントを探すことです。これまで、BMW、Philips、Google Creative Labs、the Dubai’s Museum of the Futureといった国際色豊かなクライアントや組織と一緒に仕事をしてきました。
未来について考えると、私たちはモノや技術が格段に進歩して、人間が今日(こんにち)では手も足も出ないようなことをできるような「超人間」になるといった曖昧なシナリオを想像することが多いです。ですがこうした見通しは体験の重要な要素、体験の中心は人間性であるという前提から始まっていることが多く、人間ももっと複雑に絡み合ったシステムの一部であるということを忘れがちです。私たち人間は世界の形を作ることができますが、一方で、私たちを取り巻くモノや世界もまた、何百年も前から私たちの形を作ってきているのです。
ですから、私たちは機械やモノの立場に立って、それらの目線から世界をみてみるべきだと思います。簡単なことではなく、わかりにくいものですが、間違いなく劇的で楽しく、そしてイノベーティブなことです。一見馬鹿馬鹿しく思えるようなこの考察を選択肢にいれることで、いままでのところまったく顧みられていないようなテクノロジーの進歩の道筋がみえてくるかもしれません。
Simoneは、その独特な発想とこの分野における専門知識から新たな捉え方を提示することに成功しています。私たちはSimoneと一緒に、どうすればモノを通して新たな未来の物語を生みだせるのか考えました。

── oio.studioではどんなデザインをしているのですか?
oioでは、AIと機械学習が、現在と未来の日常生活やクリエイティブな活動に与える影響を調べるためのプロダクトをデザインしています。私たちはデジタルとフィジカルの両面で、将来のプロダクトとインタラクションについて企業とコラボレーションしていますが、私たち独自のプロダクトも開発しています。まもなくリリースできると思いますが、工業デザインとインタラクションデザインの中間にあるような、そして現在と将来のプロダクトの中間にあるようなものです。
── プロダクトとインタラクションのデザインは、現在と未来でどう違ってくるのでしょうか?
同じようなものではありますが、少し違います。すべてのプロダクトは近い将来あるいは遠い将来に向けてデザインするものであり、デザイナーはまだ存在していないものに目を向け、それを作り出そうとするものです。しかし「将来のプロダクトとインタラクション」と言うのは、まだ出てきたばかりのテクノロジー、どんなアプリに使われるかよくわからないようなテクノロジーを扱う場合が多いです。
プロセスや方法論論の違いに着目するのではなく、多くの疑問をもって、単なるトレンドレポートやハイレベルのシナリオよりも具体的ななにかを推定することで、問題解決だけでなく問題の定義を行うことが必要です。私たちが未来について語るとき、あるいは「未来」をデザインしようとするときにはしばしば、すべてが抽象的で一般的なものになってしまいがちです。ですがoio.studioでは、その抽象的なトレンドを深掘りして、ユーザーが体験できる未来の断片に変えていくのです。

企業と一緒に仕事をするということは、パワーポイントやシナリオ以上のものを提供するということです。つまり、人を驚かせ、刺激を与え、議論を引き起こし、あるいは世の中に審判を問うような将来の機会の原型(プロトタイプ)を作るということです。一方で、自分たちのためにプロダクトを作るということは、予想もできないような特定のテクノロジーの使い道や、システムの新たな動き方をみつけだすことです。出発点はAIでも、非中央集権型システムでも、ただの道具でもなんでも構いません。たったひとつの別の方向性を示す例がみつかれば、そこから積み上げていくのです。
── 空想のデザイン、あるいは「デザインフィクション」を使う場面のよい例はありますか?
私個人の作品やリサーチは、ほぼすべて「デザインフィクション」的なものです。狙ってそうしたことは無いのですが、いつの間にかそうなっているのです。Near Future LabやRCAのDesign Interactionの作品は、学生時代の私に素晴らしいインスピレーションを与えてくれました。非常にプラグマティックでユーザー中心の考え方が強い組織にいた私は、これらのデザインのおかげで、未知のものを探求する手段としてのデザインの可能性を知り、それを自分なりのやり方に落としこむことができたのです。

プロダクトではありませんが、私の論文『Addicted Products』が「デザインフィクション」を作ろうという最初の試みだったかもしれません。これは、いま現在役に立っているなにかに、未来志向のロジックと目的を与えることで現在の生活に別の形で役に立つのではないかという考察を行ったものです。
始めはトースターのネットワークを作り、使用状況を比較して、それらの使い方と使われていない使い道を示すためにおかしな使い方をしてみるという実験でした。しかし、それはのちにロンドンで2ヶ月間、トースターがユーザーに対して不満がある場合には自分の意思でオーナーを変えることができるという実際のサービスとして展開されました。まるで実在する会社のような、フィクションのようなゴールです。街中でトースターを回収したり届けたりするためにスタッフが走り回り、ウェブサイトには世界中からこのサービスに参加したいという声が寄せられていました。プロダクトとユーザーの関係を逆転させるという架空のシナリオを現実にすることは、私がこれまでやってきたことの中で最も複雑なことだったでしょう

(出典: simonerebaudengo.com)
── 数年前、「Objective Realities」という、人間がVRを使って特定の物体になったときの感覚を体験するプロジェクトに携わりましたね。なぜこのプロジェクトを手がけようと思ったのですか? また、このプロジェクトから得られたものはなんだったのでしょうか?
Objective Realitiesは、automato.farmと一緒に開発したプロジェクトです。彼らは過去6年間、物を通して未来についての物語を作る新しい方法を探るために一緒に活動してきた素敵な仲間たちです。
私たちのプロジェクトの多くは、日常的なオブジェクトに組み込まれたテクノロジーがもたらす意外な影響に着目しています。プロジェクト当時、私たちは、人間が世界をみるのとはまったく異なる、機械の世界のみえ方を説明しようとすることに非常に興味をもっていました。それを複雑に説明するよりも、私たち自身がオブジェクトになることで、人々をその状況に置くことにしたのです。
そこで、ルンバ、扇風機、プラグコンセントという3つの仮想のモノを作り、ありふれた家庭の中で一緒に暮らすようにしました。そして、参加者にそのモノになりきってもらい、そのモノのように動いてもらい、そのモノの内なる思考を聞いてもらいました。この家の中を歩き回りながら、人々の耳にはBruce Sterling氏、Jasmina Tesanovic氏、そして Regine Debatty氏とのコラボレーションで書かれた内なるモノローグを聞くことができるのです。架空のモノではなく、架空の視点を作りだし、家という普通のものの見方を変えたときの人々の反応をみることができたのは、とてもいい経験でした。ルンバに新たな共感を得た人、扇風機の生活のシンプルさを心から楽しんだ人、コンセントとして持つ力を心から愛した人など、さまざまでした。

── 人間、テクノロジー、非デジタルなものの関係を探求した著書『Everything Is Someone』についてお伺いします。この本のなかでは、少年がテーブルになって、テーブルの視点から世界を探検する物語があります。モノの視点から世界をみることの意義は何でしょうか。また、どんなモノの目線が面白いと思いますか?
どんなものでも、考えてみればおもしろいと思いますよ。家の中の場所、使い方、使われる時間帯も違いますし、センサーがあれば、ヒトの生活に関する部分的で奇妙な情報を知っているかもしれない。私たちはいつも、自分たち人間がすべての中心にいて、最も進歩していて、幸せだと考えていますが、結局のところ、私たちはほとんど理解していないモノやネットワーク、自然システムの複雑な関係の一部に過ぎないのです。だからこそ、ソファでもAlexaでも犬でも植物でも、人間ではない視点から世界をみることは、興味深く、地に足の着いた訓練になると思います。

── また、ある少女は周囲の機械に顔を認識されないため、世の中で「まともに」暮らせないという話もあります。これはつまり、現代のテクノロジーや私たちの使い方に対する批判なのでしょうか?
どの話も、いわゆる批判ではありません。この話は、子どもの世話でさえも機械に任せるような、非常にシンプルではあるものの暗いシナリオを描いています。このシナリオは、時代的にはそれほど遠いものではなく、それ自体は悪いことではありません。ですが、物事に間違いはあるもので、いまうまく行っているテクノロジーが将来も大丈夫とは限りません。
── あなたの本はデザインとテクノロジー、そして哲学の本だと言われるかもしれません。私たちデザイナーは、仕事や思考にどのように哲学を活用すればよいのでしょうか?
この本の全体的な考え方は、オブジェクト指向の存在論やアクターネットワーク理論など、興味深い哲学に対するJoshと私の非常に基本的な理解と解釈から来ていますが、だからといってこれが哲学の本だとか、哲学的価値があるものだとはいいません。
学生時代、デザインの本や記事、デザイン関係の資料をたくさん読んでいましたが、あるときに飽きてしまいました。それから、皮肉のきいたSFや小難しい現代哲学の本を読むようになりました。読んだ本の半分を理解して、自分にとって有益なもの、なんらかのインスピレーションに変えるまでには5年以上かかったと思います。
ですから、デザイナーは哲学を「使う」ことができるのです。でもこれはツールでもないし、記事やプロジェクトのページに気の利いた引用を足すことでもありません。自分自身の観点を作りあげるということは、時間がかかり、痛みを伴うプロセスなのです。そして、これこそが違いを生むのです。

── 最近一番影響を受けているものはなんですか?
ガールフレンドが私の誕生日にくれた、古いたまごっちです。私はすっかり虜になってしまいました。バッテリーとピクセルの画面が付いた小さなプラスチックの殻に、なんと素晴らしい、パワフルでクセになってしまうような、楽しいものが詰め込まれているのです。これをみて私は喜ぶと同時に、怖さも覚えました。
私が10歳のときに初めてコンピュータを手にしたときのこと、そしてそれに触発されてデザイナーになろうと思ったことを思い出します。また、私たちが作った驚異的で依存性の高いあらゆるテクノロジーを、将来どんなふうに作り変えることができるだろうかと考えてしまいます。さらに、一見すると問題解決にならないようなことでも、何らかの形で自分の人生にとって非常に意味のある、インパクトのあるものにすることができるのだということも、思い出させてくれます。
── ARや機械学習、AIなどさまざまなツールがありますが、いまデザイナーにとってもっとも重要なツールはなんだと思いますか?
そのすべてが重要であり、いずれも重要ではないといえます。私はこれらのテクノロジーのどれも、主なツールとして学ぶ必要はないと思います。大事なことは、そのアルゴリズムが私たちの業務に与える影響を理解し、それを使いこなすことです。これらはすべて、新しいメタファーを必要とする製品を形作ることができる新しく興味深い素材であり、私たちの限界を押し広げ、デザインプロセスを変えることができます。
Written by Giorgia Lombardo (Design Matters)
Translation brought to you by Spectrum Tokyo
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