医師が処方する治療アプリ、「CureApp」が目指す新しい医療のあり方
医師の処方により、患者さんのスマートフォンにダウンロードして利用する「治療アプリ」。2014年の薬機法改正以降広がりつつあるこの領域で、多数のアプリを展開しているのが「CureApp」です。ヘルスケアアプリとはどう違うのか?アプリでどうやって治療が可能なのか?彼らが目指す新しい治療体験についてお聞きしました。
小林 啓 | 株式会社CureApp デザイン部 UXデザイナー / 精神科医師
2009年 京都府立医科大学医学部卒。精神科医師としての臨床経験を経て、デザイン×医療への関心が高まり、2021年より株式会社CureAppにデザイナーとして入職。医療にデザインを伝え、デザインに医療を伝えるハブとしての役割を目指している。書籍「医療者のスライドデザイン」(2023)。
永田 昌一 | 株式会社CureApp デザイン部 部長
デザインコンサルティング会社であるsoftdeviceのデザイナーを経て、サムスン電子ジャパンにてスマートフォンGALAXYのUI/UXデザイン及びデザインマネージメントに従事。その後、フルブライト奨学生としてマサチューセッツ工科大学(MIT)デザイン修士プログラムへ留学し、在学中に高齢者向けVRプラットフォーム開発など複数のスタートアップの立ち上げに参画。帰国後にスタートアップを共同創業し、セルフケア習慣化サービスのプロダクト統括や法人向け事業立ち上げ、事業管理に従事。2023年5月よりCureAppに参画。
医師がアプリを処方する新しい治療のかたち
── まずはじめに「CureApp」について教えてください。「治療アプリ」という言葉は初めて聞きました。
永田:「アプリで治療する未来を創造する」のビジョンのもと、地域医療格差や質のばらつきなど医療が抱えるさまざまな社会問題を、治療アプリなどのテクノロジーを用いたソリューションによって解決することを目指しています。
小林:CureAppは医療における一連のプロセスの中で、特に「治療」にフォーカスをあてています。 私たちがエンドユーザーに提供したい価値は「患者さんの疾患が改善すること」「医療従事者のニーズを満たすこと」であり、医薬品などと同様に医師から患者さんに処方されるものとして、高血圧やアルコール依存症、がんなどの疾患に対して効果のある治療アプリを開発・提供しています。
疾患毎に提供する内容はさまざまです。たとえば高血圧治療補助アプリの場合は、疾患についての知識を習得できるコンテンツの提供や、生活習慣改善のための行動の提案、その習慣化を支える機能などを備えています。医師側には患者さんの治療状況などを確認できる画面を提供しており、正しい生活習慣の定着を支援しています。
──いわゆるヘルスケアアプリとは何が異なるのでしょうか?
小林:厚生労働省から製造販売承認(薬事承認)を取得し、保険適用を受けています。承認を得るまでにはさまざまな過程があり、特に大きなイベントが臨床試験です。厚生労働省やPMDA(独立行政法人 医薬品医療機器総合機構)といった公的機関と事前の話し合いを重ね、複数の医療機関と連携しながら、実際の患者さんを対象に治療アプリの効果や安全性などに関するデータを収集します。こうした臨床試験の成果を論文として公表し、審査を通過することで保険適用を受けた医療機器として認められるのです。
CureAppでは治療アプリ開発の初期段階からさまざまな医療分野の専門家が携わることにより、臨床試験や保健適用、上市後の医療機関での使用などを視野に入れた独自のデザインを実現しています。
患者さんへの理解がエビデンスの余白を埋める
──アプリ開発の立ち上げから保険適用まで数年かかるそうですね。スピーディなリリースを目指すスタートアップのものづくりとは、かなり異なりそうです。
小林:医療機器として信頼を確立した状態でリリースする必要があるので、安全性に影響する要素を洗い出して慎重に解決するデザインにしなければいけません。また臨床試験でしっかりとしたエビデンスを確立するために、開発段階から「理論に裏付けされた治療効果が見込めるもの」をつくらなければいけません。まずつくったものをリリースしてユーザーに触ってもらい、フィードバックを元に改善していく……といったプロセスではないんです。
── 開発中に「これなら効果が見込める」という確証を支えるものは何でしょうか?
小林:たとえば高血圧であれば、治療に効くアプローチは既にさまざま提唱されており、効果を示すエビデンスとして論文がたくさん存在するので、それらを徹底的に調べて治療アプリへと落とし込んでいきます。臨床試験の前には、社内の人間でテストしたり、臨床的な部分をある程度制限した上で患者さんを対象としたユーザーテストを行い、理論と検証を組み合わせることでなるべく細かくチューニングしています。
── 論文などのエビデンスからアプリに落とし込むイメージが持てないのですが、どのような工夫をしているのでしょうか?
小林:論文ベースのエビデンスとは、統計的な結果のことを指します。たとえば高血圧であれば、減塩のプログラムをやっている人とやってない人を比べて検証し、減塩をした人の血圧が統計的に有意に下がっていれば「減塩は血圧を下げる可能性がある」と報告することができます。
ただしそれらはあくまで統計的な情報であり、治療アプリのコンテンツとして落とし込んでいくためには、より個人の特性や生活に準じた情報が重要になります。実際の生活の中でどうすれば減塩につながる行動が取れるのか、どのようなアドバイスや提案ができればその行動が生まれるのかなどは論文外の情報となるため、デザイン的なアプローチが必要になります。患者さんの日常の行動への理解を深め、減塩の何が難しいのかを分析し、どのような解決策が最適なのか考えて機能にするという変換が大切なのです。
永田:エビデンスは治療アプリでの提供結果ではないので、落とし込んでいく部分にはかなり余白があります。そこをデザインのプロセスの中で埋めていくイメージです。
もちろんリリース段階で治療効果は担保していますが、その段階で全てがわかりきっているわけでもありません。患者さんがどう使っているのか、何が治療効果を高める要因になっているのかなど、市販後もデータを見て検証しながら改善を進めています。
── すべての土台となる患者さんへの理解は、どのように深めているのでしょうか?
小林:開発に医師が関わっていることが大きいですね。創業者である佐竹と鈴木は現役の医師であり、私を含め出自の違う複数の医師が開発の初期から関わることができます。治療に携わってきた現場経験から、患者さんの困りごとや課題などはある程度抽出できます。一方で、デザイン視点であらためて患者さんにインタビューする中で、医師の仕事の中では見えてこなかった新しい課題を見つけるケースもありますね。
医師と患者さんの間に入りこむコミュニケーションデザイン
── これまで医療の現場では、どのような問題があったのでしょうか? 治療アプリはどういった点で有効な解決手段だと考えていますか?
小林:大きな課題のひとつとしては、医師も患者さんも治療のために必要であると認識している生活習慣を、なかなか継続して実践することができないことです。医師がつきっきりでサポートすれば生活習慣を改善できるかもしれませんが、そこまで手厚いアプローチは患者さんも求めていませんし、毎日電話で状態を確認されるのも現実的ではありません。
そんな中で、生活に介入するのに治療アプリはちょうど良い存在です。スマートフォンは毎日触れるものですし、行動を適切に変えていくための医師と患者さんの媒介者としての役割に適しています。
実際、治験という特殊な環境下ですが、治療アプリの利用率は98%(高血圧治療補助アプリ/治験登録後12週間後)を超えるなど非常に高い結果でした。この数値は、医療機関で医師の説明のもとに処方され、且つ医師の指導のもと一緒に使っていくものだからこそと考えています。「治療のために必要なもの」という認識がある状態ではじめられ、数週間に1回の診察が定期的なタッチポイントになり、根本的な生活習慣の改善につながるのだと考えています。
── 「処方される」ことが、患者さんの一連の体験の中でも重要な要素なのですね。「処方されたものである」と患者さんに認識してもらうために、工夫していることはありますか?
永田:コミュニケーションデザインの領域も含めて設計しています。患者さんの体験の入り口として治療アプリをどう知ってもらうか、つまり「医療機関でどう説明してもらうか」も試行錯誤しています。どのような資材があると医師が説明しやすいのか、処方の前後で何を渡すといいのかなども検証しており、現在は高血圧治療補助アプリのはじめ方を解説したスタートブックなどをご提供しています。
小林:どの医療機関にヒアリングしても、 診察に十分な時間を取れている医師はほとんどいません。そんな中で、治療アプリというこれまでなかったものを説明し、同意をもらって処方するというプロセスを踏んでいただくには、負荷や手間を極力減らして端的かつ確実に内容が伝わる情報提供の方法もデザインしなければいけません。
ポイントは、目新しさよりも、医療目線での親しみやすさです。私たちとしては治療アプリであることへのこだわりもありますが、それを前面に打ち出しても、特に高齢の方などは馴染みが薄くハードルの高さを感じてしまいますからね。治療アプリが主役で「あなたも治療アプリで治療しましょう」と伝えるのではなく、 医師とともに治療していく一連のプログラムの中に位置付けてあげるなどの工夫を試みています。
永田:大切にしているのは「治療体験全体をデザインする」意識です。患者さんが治療アプリで行うことに加え、医師向けの画面でどのようなステップでどのようなデータを見れると診察がどのように変わるのかなど、全てを線で考えています。
医師のための画面から、医師と患者さんのための画面へ
── 医師向けの画面では、どのような工夫をされているのでしょうか?
小林:高血圧治療補助アプリの医師向け画面は、初期段階では縦にスクロールして多くの情報を追えるデザインを採用していました。しかし社内で模擬診察をしてどれだけ情報が拾えているか検証したところ、情報の見落としが多いことがわかったんです。現在は、1画面に情報を納めてタブで切り替えるデザインへと改善を行いました。
小林:診察というプロセスの特徴として、複数の情報を相互に比較する作業があります。患者さんの訴えと検査値や画像の所見、身体症状、バイタルなどを比較する行為を何段階も瞬時に行っていきます。そのため、関連する情報がひとつの画面に納まっていることが重要となります。たとえば血圧のグラフと生活習慣の情報があれば、「どのように生活習慣が影響して血圧に貢献したのか」などの推論を導くことができます。そういった情報の比較から、診断や治療の意思決定に導くプロセスをやりやすくしてあげることが大切なのです。
永田:ただし医師の中には画面を印刷をしたり、モニター画面を患者さんに見せる方もいらっしゃいます。つまり、医師の業務のみに特化して効率の最大化を目指せばいいわけではなく、患者さんも理解できるユーザーフレンドリーなものであることも必要あるのです。グラフひとつをとっても、左右両軸にメモリのあるつくりだと読み解けない患者さんもいるので、非常に難しいバランス感覚が必要になります。
それでも、医師から「このグラフのデザインでは患者さんはわからないよ」とフィードバックをいただくなど、医師向けの画面のデザインに対しても患者さんの存在が意識されるようになってきていることを感じます。とても素晴らしいことですよね。
テクノロジーの力で、診察室の体験価値を最大化する
── 医師と患者さんとが一緒になって治療を行っていくために、どのようなことを大切にしていますか?
小林:疾患によって治療に対する認識は大きく異なりますし、もちろん患者さん毎にも異なります。なぜ治療しなければいけないのか、その理由からきちんと伝え、薬物療法の前の選択肢として治療アプリの改善プログラムへの理解を深めていただけるよう務めています。
治療に向けて、患者さんには「医学的に推奨されているライン」「それに対してあなたはこのぐらい頑張りましょう、というライン」の2つを示してあげることが多いです。その上で目標を自分で決めてもらい、達成できたら治療アプリや医師が褒めてくれる、ある意味報酬的なデザインの要素も大切だと考えています。
ただしこの点に関して、私たちはあくまで治療アプリなので、報酬という外発的動機よりも内発的動機を大切にしています。コインやアイテムがもらえるようなゲーミフィケーションに注力をするよりも、患者さん自身が持っている治療に対する意欲を支え、高めてあげられるものを目指しています。
永田:医師が介在するので、そこで報酬を受けているとも考えられるのではないでしょうか。アプリ内で褒められて完結するのではなく、医師に褒められた方が嬉しいはずなので、診察室での体験を満たしていくことが大切だと考えています。
── 実際に、診察室において医師と患者さんとのコミュニケーションにはどのような変化がありましたか?
安藤(広報):「診察室が盛り上がるようになった」とお聞きしています。医師が一方的に話すのではなく、患者さんからも話すことが多くなったと。患者さんも治療アプリを通じて生活習慣の改善に関する知識がつく分、医師の言葉の意図を理解できるようになり、診察室で「話が合う」ようになったのは喜ばしいことですし、診察の質の向上にもつながっています。
永田:CureAppの治療アプリでは日記をつけて医師と共有できるのですが、それらを通じて見える「頑張れているものといないもの」や治療の経過などが、診察室での話題になっているともお聞きしています。「運動はできていないけど減塩は頑張ってる」などがわかるので、アセスメントができて会話にもつながるし、その先の適切な指導にもつながっています。
── テクノロジーだけで完結する解決策をという考え方もあると思いますが、皆さんの根底には、治療という体験全体を見渡し、診察室での体験を最大化することがあるように感じました。
小林:ここまで医師の存在の大きさを強調してきましたが、治療アプリには2つの大きな意義があると考えています。医療がそもそも人対人のコミュニケーションによるものであるから、その長所をできるだけ伸ばすためのツールとして治療アプリが存在するという発想と、人と人とのコミュニケーションによる医療には人だけで解決することが難しい課題が多くあるため、 その負担を軽減する意味での治療アプリという発想です。
後者についてはここまであまり話せていませんでしたが、治療アプリが介在することで、これまで医師が忙しくてやれていなかったことがやりやすくなる部分も重要だと考えています。治療アプリが入り込むことで効率化されたり、コスト削減が目指せたらいいですよね。
それでも、やはり医師と患者さんのコミュニケーションが前提にありますし、その価値は10年経ってもまだ変わらないと思います。これから医療現場でもAIが多くの変革をもたらしていくことが予想できますが、現段階ではやはり医療は人と人とのコミュニケーションに大きく依存しているものです。そこに介在することで、より治療の質を根本から高められる治療アプリには大きな価値があると信じています。
治療アプリが当たり前になる未来を目指して
── 最後に、今後の可能性として考えていることをお聞きできればと思います。
小林:診察室の中だけでなく、患者さん同士や医師同士をつなぐ、いわゆるソーシャルネットワーキング的なものもひとつの可能性として考えています。そういったツールは世の中に既にありますが、医療機器としてやるには、予測不可能な要素が非常に多くハードルはかなり高いです。それでも、チャットなどの直接的なやりとりではなく、情報を匿名化して他の患者さんのデータと自分のデータとを比較することなどが、行動変容のアプローチとして実現可能ではないかと考えています。
永田:今日本で製造販売承認を取得し保険償還されている治療アプリはCureAppが開発した製品しかないのですが、DTx(デジタルセラピューティクス、デジタル療法)はまさにこれからの領域です。私たち以外にも製薬企業やベンチャー企業など多くの研究機関で治療アプリの研究開発が行われているので、今後デジタル療法領域自体が大きくなり、さまざまな疾患に対しての治療アプリが提供されるようになり、それが当たり前の選択肢となることを期待しています。
そのためにも、さまざまなデジタル療法を患者さんに提供できる環境づくりに会社として取り組んで行きたいですね。私たちが挑戦している「DTx Design」はまだまだ体系的手法が確立されていません。日々何が大切かを模索しながら、少しずつ前に進んでいければと思います。
取材協力
株式会社CureApp