デジタルIDアプリ「xID」が実践する、行政とともに進めるプロダクトづくり
銀行口座開設やクレジットカード発行など、本人確認が必要な手続きは非常に煩雑で面倒なもの。 今回は、そんな手間をマイナンバーカードとの連携によって解消できるデジタルIDアプリ「xID」を手がけるxID株式会社代表の日下光さんにインタビューしました。エストニアで見た電子国家の姿やブロックチェーンの活用、そして行政領域におけるプロダクトづくりの考え方までお聞きしています。

xID株式会社 日下 光 / Co-Founder / 代表取締役CEO
2012年xID株式会社を創業。2017年よりエストニアに渡り、eResidencyや政府機関のアドバイザーを務める。2019年より地方創生推進(デジタル化・スマートシティ)フェローに就任。静岡県浜松市デジタルスマートシティフェロー。2021・2022年度総務省地域情報化アドバイザー。鎌倉市スマートシティ推進参与。茨城県日立市デジタル化推進・評価委員。一般社団法人デジタルアイデンティティ推進コンソーシアム理事。
電子国家エストニアで見た未来を、日本にもたらすプロダクト
── まずは「xID」について教えてください。
日下:xIDは、マイナンバーカードの署名用電子証明書をスマートフォンのNFCで読み取るだけでIDを作成することができるデジタルIDアプリです。連携している自治体であれば窓口でしかできなかった手続きをアプリを使って行うことができますし、事業者側でAPIを実装していただければ、銀行口座開設やクレジットカード発行の本人確認、不動産の契約なども簡単にできるようになります。xIDがあれば、何度も本人確認書類を集めて提出したり、身分証を写真に撮ったりする手間を省くことができるんです。

── xIDの発想はどこから来ているのでしょうか?
日下:2017年から4年ほど住んでいたエストニアで見た「電子国家」の姿からですね。当時エストニアではマイナンバーカードに相当する「e-ID」が99%近く普及し、既に社会インフラとして機能していました。対する日本での普及率は13%ほど。ある意味「タイムマシーンで未来を見てきた」ようなもので、ここで学んだことがその未来に向かっている最中の日本で活かせることにおもしろみを感じたんです。
── エストニアは、どのように電子国家としての仕組みをつくっているのですか?
日下:エストニアは1991年にソ連から独立回復を宣言した背景があり、政府が腐敗しないよう信用・信頼を担保する仕組みとしてブロックチェーンの技術を活用しています。もともと僕自身もデジタル上での信用・信頼が貨幣経済に代わる新しい指標になるのではないかと考えていて、それをどう可視化するかをテーマとして持っていました。当時ブロックチェーンは仮想通貨など「お金」の文脈で語られることが多かったものの、やはり本質的には「信用・信頼をデジタル上で担保できる技術」だと考えています。
デジタル上での信用・信頼をブロックチェーンで実現する
── xIDでもブロックチェーンの技術を活用しているそうですね。
日下:デジタル上での信用・信頼を実現するためには、エストニア同様ブロックチェーンの技術をxIDでも取り入れる必要がありました。
ブロックチェーンは「トラストレス」という言葉で語られるように、その技術自体が信用・信頼を公平に担保するための仕組みであり、技術的に改ざん「できない」と証明できるのが素晴らしい点です。「やらない」と「できない」には雲泥の差があり、「やらない」のは法律や倫理などさまざまな抑止力があるだけで、結局は扱う人に依存してしまいます。でもブロックチェーンであればそれを技術で担保できるんです。
ただしまだ法令面に課題があるため、実証的にブロックチェーンを使用していた以前とは異なり、現在xIDではブロックチェーンを構成する要素技術から必要なものを取り出して活用しています。
そのひとつがエストニアで非常に活用されている「タイムスタンプ」です。これまで特定の機関が原子時計で表示する時刻に基づいて情報を記録していたものを、時刻とアクセス履歴などのログをあらゆるところに残し、それらをみんなで公平につなげていくことで改ざんできないようにする技術です。
もうひとつが「PKI(Public Key Infrastructure/公開鍵基盤)」で、暗号化と復号(暗号化されたデータを元の状態に戻すこと)によって安全に情報をやり取りするための技術です。xIDでは、その人が間違いなくログインしていることを証明したり、サービス提供事業者が受け取った個人情報を復号する際にこのPKIを使っています。

自治体とのコミュニケーションがプロダクトを磨き上げる
── プロダクトづくりにおいて参考にしたものはありますか?
日下:xIDのようなデジタルIDアプリはこれまで日本になく、UI/UXデザインの際に参考にできる事例がありませんでした。唯一あったのがエストニアのアプリ「Smart-ID」ですが、日本とは国民性や文化的背景、人口規模や年齢構成などが異なります。同じようにつくってもフィットしないため、どこをローカライズするかが開発時の大きな焦点となりました。
特に、運転免許証や保険証が一つのカードになった「e-ID」がデジタルIDの唯一の選択肢だったエストニアと異なり、日本でまず最初に本人確認書類として想起されるのは運転免許証やパスポートです。僕たちも「それらに対応しないのか」と何度も聞かれました。
でも受け入れてしまうと一人で複数アカウントをつくることが可能になり、民間企業ではそれらが同一人物であると断定することができません。ビジネス化の厳しさを承知でニッチな領域から始めようと決め、現在の方針に着地しました。幸いにも昨年マイナンバーカードの普及率は50%を超え、申請数ベースで運転免許証を超えました。
── マイナンバーカードと連携する上で、どのようなポイントを特に重視しましたか?
日下:マイナンバーカードと連携する以上、法令に準拠したプロダクトでなければいけません。そのため、デザインするときはまず法律を理解することから始めます。
また、マイナンバーカードとの連携には管轄する総務省の大臣認定が必要になるため、ベンチャーのようにスクラップアンドビルドでつくることはできません。多くの制約の中でどうやって使いやすくしていくのか、制約に文句を言うのではなくどう立ち向かっていくのかを考える必要があるため、非常に難易度が高いんです。
それでもレギュレーションがあるからイノベーションが生まれ、イノベーションがあるからレギュレーションを変えていけるわけで、二つは手を取り合う関係のはず。そのためxIDでは、関係省庁の方々とのコミュニケーションもプロダクトの意思決定プロセスの早い段階に組み込んでいます。
実際政府の方々や有識者の方も制度が机上の空論にならないよう、先行事例を求めています。そのため、僕たちはまずはじめに「自治体と一緒につくる」ことから始めました。

日下:自治体はある意味規制する側であり、それぞれの地域で条例を制定できる権限を持っています。そのため、彼らとのやりとりを通してプロダクトを実用に耐えうるものに磨きあげ、それを関係省庁に情報共有したり、それらをもとに意見交換するようにしています。こうすることで、自治体からいただいたフィードバックをもとに「現行の法令に対して、こうすればここまでできる」というところまで反映したプロダクトをプロトタイプとして見せられるので、関係省庁の方々からは「ではそれ以外で、規制が緩和されたらやりやすくなることは何かありますか?」というリアクションをもらえたり、前向きなコミュニケーションが生まれやすくなるんです。
そこでの提案は、僕たちだけでなく今後後発で同種のプロダクトをつくる人たちにとってもメリットがあるものであることも重要です。僕たちのために法律が変わることはありませんが、民間企業の参入時にボトルネックになる部分を見つける役割を果たせれば、それは具体的な提言になります。「僕たちのために変えてくれ」ではない形で制度改革に挑戦することが、プロダクトづくりのプロセスのひとつなんです。
万人に使いやすくオープンであれ
── 自治体からは実際どのようなフィードバックがあったのでしょうか?
日下:最も多かったのは「高齢者が使えないのではないか」というものです。xIDは利用者の年齢や居住地などのユーザーデータを取らないので正確な分布はわかりませんが、人口比率で考えれば当然高齢のユーザーが多くなります。それでも「高齢者が使いやすいデザイン」に振り切るかというと、それはあまり意識しないようにしました。
なぜなら、僕はデジタルデバイド(情報通信技術の恩恵を受ける者と受けられない者との格差)は思うより存在しないと考えているからです。基本的な体験設計を統一して使いやすいものをつくれば、高齢者には若い人が教えてくれるはずです。高齢者向けスマートフォンの使い方を聞かれても30-40代の人は使ったことがないので答えられませんが、iPhoneであれば誰だって答えられますよね。であれば、ユニバーサルデザインを目指してみんなが便利に使えるものをつくるほうが、結果的に高齢者の方を助けることにもつながると考えたんです。
──高齢の方に限らず、ブロックチェーンという技術的な担保があってもデジタル上に個人情報があることへの恐怖感や抵抗感を感じる方は多いのではないかと思います。どのように対処しているのでしょうか?
日下:恐怖感や抵抗感を払拭できるものは「圧倒的な利便性」しかありません。ないと困る便利な存在になることがまず大前提で、そのためにはどんな言葉を並べるよりもまずは「使いやすい」ことが必要なんです。
その一方、信用・信頼を積み上げるためには、それらを既に持っているところと組んで、信用・信頼を借りることも必要です。自治体と組んでいる理由のひとつがそれで、「自治体がこれだけ使っているサービス」ということが一定の信用・信頼につながるんです。
同様に大手企業などとも広く取り組みを進めています。多様な企業・組織とつながって広がっているプロダクトであることを発信し、それもまた信用・信頼につなげています。
合わせて、セキュリティに関する部分など一部をのぞき、今後はソースコードなどの情報もできるかぎりオープンにしていこうと考えています。ソースコードを見たところでわからない方も多いでしょうし、それ自体が信用・信頼につながるわけではありませんが、「きちんとソースコードを読める人が安全なプロダクトだと判断できる選択肢を提供する」ことが大切です。こういったスタンスや姿勢も、xIDというプロダクトを形づくるひとつの要素だと考えています。
行政に必要なのは、デザインのプロセスや考え方
── 行政分野におけるデザインの価値について、どのように捉えていますか?
日下:「Govtech(ガブテック)」は行政機関がテクノロジーの力を活用してICT化していくことのように思われがちですが、僕はどちらかというと「民間企業が新しいテクノロジーを使って先行投資して、公共行政分野に資するプロダクトをつくっていくこと」ではないかと思っています。
行政においては、これまでデザイン思考などプロダクトをつくる上での考え方やプロセス自体が存在していなかったため、それらが入ってくることにも大きな価値があると感じています。プロダクトそのものだけでなくプロセスや考え方も一緒に持ち込んで、その価値に気づいてもらうことが重要なんです。
そのため僕たちは、キャンペーンの施策づくりなどさまざまな部分を自治体の職員の方々と一緒にやるようにしています。分析やデザイン、文言をつくる過程を共にし、プロダクトづくりのプロセスを浸透させていくことが、結果的にxIDを真に理解して使ってもらうことにもつながるはず。これからもっともっといろいろな企業が参入してくることで、さらに伸びていくことを楽しみにしています。

取材協力
xID株式会社
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