日本の防災を情報発信で変える。災害の記憶と反省で進化する「特務機関NERV防災」
さまざまな地震や災害に見舞われてきた日本で、アプリを通じて防災情報を発信している「特務機関NERV防災」。その一風変わった名前にピンと来た方もいるでしょう。開発を手がけるゲヒルン株式会社の石森大貴さん、糠谷崇志さんにお話を伺いました。
石森大貴 | ゲヒルン株式会社 代表取締役
10歳からプログラミングを始め、12歳でレンタルサーバーサービスを開始。2010年7月にゲヒルンを設立。東日本大震災を受け、Twitter上でヤシマ作戦を実行、@UN_NERVで防災情報を発信。2019年に防災アプリをリリース。一般社団法人セキュリティ・キャンプ協議会 理事。
糠谷崇志 | ゲヒルン株式会社 専務取締役
中学1年のとき、現ゲヒルン代表の石森が提供していた無料レンタルサーバーサービスを契約したことがきっかけで石森と意気投合。ウェブデザイン、サービスデザインのUI/UXを一手に引き受け、ゲヒルンのデザインの礎を築く。
国内最速レベルで防災情報を発信する「特務機関NERV防災」
── 年始の能登半島地震や、先日のJアラートの際などにお世話になった方も多いのではないかと思います。まずはじめに「特務機関NERV防災」について教えてください。
石森:特務機関NERV防災(以下、NERV/読み方:ネルフ)は、地震・津波・噴火・特別警報の速報や、土砂災害・洪水害・浸水害の危険度といった防災気象情報を、利用者の現在地や登録地点に基づき最適化して配信するアプリです。提供する防災気象情報は気象業務支援センターと接続した専用線からダイレクトに受け取っているほか、さまざまな関連機関との連携を進めており、情報の拡充と国内最速レベルの情報配信を実現しています。
石森:アプリ名のNERVは、『エヴァンゲリオン』シリーズ(以下、「エヴァ」)に登場する架空の組織に由来しています。もともと『エヴァ』が好きで、2010年2月に開設した気象警報を発信する趣味アカウントをそう名付けました。その後、権利元から許諾をいただいて活動を続けています。
── さまざまな防災機能が搭載されていますが、アプリで特に重視しているポイントはなんでしょうか?
石森:ひとつは、音声読み上げ機能や色覚特性に対応した配色設定など、誰もが自分に合った手段や形式で情報にアクセスするのをサポートする「アクセシビリティ」。もう一つは、情報に素早く確実にアクセスするための「リーチャビリティ」です。どんなにユーザーインターフェイスを改良し、高度な処理を行っても、災害時にサーバーダウンしてアクセスできなければ、何の役にも立ちません。情報に素早くアクセスできるという点も、非常に重要な点だと考えています。
すべての人に関わる要素としてのアクセシビリティ
──まずはアクセシビリティについて教えてください。NERVではそれぞれの色覚型に最適化した配色を選択することができますが、かなり珍しいですよね。なぜこのような仕様になったのでしょうか?
石森:根底には、自分自身がP・D型色覚(緑と赤が見分けにくいとされる属性)を持っていることもあります。色覚は遺伝による先天的なもののほかに、けがの後遺症や疾患、そして加齢によって後天的に生じることもあります。加齢による色覚の変化は80歳代でほとんどの方に生じていると言われ、どんな方にも関係する要素です。年を重ねると青色が見えにくくなる傾向もあって、実際年配のユーザーはT型色覚(青と黄色が見分けにくいとされる属性)向けの配色かつハイコントラストを選ぶ方もいらっしゃいます。だからこそ、いつでも「今の自分にとって見やすいもの」に切り替えることができるようにと考えました。
──コントラストなどとの掛け合わせも考えると、かなりのパターンのデザインが必要ですよね。
石森:3パターンの色覚、3パターンのコントラスト、かつダークテーマとライトテーマがあるので合計18パターンあり、全10種類の地震アイコンもそれぞれに異なります。色覚シミュレーターを用いてデザインした上で、地図上に載せて検証し、実際に各属性のユーザーや年配の方などに見ていただいて調整していきました。
糠谷:この作業は本当に地味ですよ(笑)。それでもNERVをリリースした当初から、絶対に必要なことだという意識がみんなの中にありました。
石森:ちなみに初期はダークテーマだけで、ライトテーマを出したのは2022年です。白を基調としたアプリはすでに他社が提供していたので、僕たちがやる必要はないと考えていたのですが、2021年に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の白い砂浜があしらわれたポスターを見て、「白い砂浜のような、爽やかで、美しく、視認性が高い洗練された配色がほしいな」と思って(笑)。ライトテーマ誕生にはその影響もあったりします。『エヴァ』からは常に影響を受けているんです。
──しっかりした狙いもありつつ、『エヴァ』からの影響もありつつと(笑)。アクセシビリティに関して、他にはどのような取り組みをされているのでしょうか?
石森:スクリーンリーダー用レイアウトを設定できるようにしています。ボイスオーバー(iOS)とトークバック(Android)のふたつの形式があるのですが、前者は「気象警報・注意報」などを読む時に中黒など不要なものまで読んでしまい聞き取りやすさに課題があるので、中黒を内部で自動的に置換したりしています。また、河川名や地名は読み仮名で登録したりしています。元データの精度が重要なのですが、国土交通省のデータでさえ間違っていることもあり、手動で調整しています。
──省庁のデータでも間違っていることがあるんですね。
石森:弊社のエンジニアが間違いを多数見つけたので、国土交通省の方々に伝えて修正していただきました。このあたりはメンバーそれぞれの深い知識に支えられています。
──情報を見やすくデザインへと落とし込むために、意識していることはありますか?
石森:見やすさのポイントのひとつは、オリジナルの地図でしょうか。Google MapsやApple Mapsには既にさまざまなデータが乗っており、防災情報を重ねるととても見にくくなってしまうため、極力シンプルにした地図を独自につくりました。この配色も、かなり時間をかけて調整しています。
糠谷:もうひとつはフォント選びですね。実は、AXIS Fontというフォントをアプリに内蔵しています。ゲヒルン社を立ち上げた2010年当初から、AXIS Fontをコーポレートフォントのような形で使っていたのですが、アプリで見やすいフォントは何かと考えた際にやはりAXIS Fontだなと。タイププロジェクト社(AXIS Fontの発売元)に頼み込んで、ライセンス契約させてもらっています。
──フォントへのこだわりには、どのような狙いがあるのでしょうか?
石森:フォントはインターフェースの8割を占めるものですし、情報を伝える機能の大部分を担っています。NERVは特に文字で伝える要素が多いので、最も伝わりやすく、見やすく、フラットで、激しくも冷たくもないAXIS Fontなら安心して委ねられると考えました。
あとは……僕たち自身が中学生時代からの生粋のフォントオタクなんです。Androidだとメーカーフォントに変換されてしまうのが許せなくて(笑)。そういった個人的なこだわりもありますね。
収益化よりも優先するのは「どんな時でも落ちず、素早く確実にアクセスできる」こと
── リーチャビリティについても教えてください。どのような工夫をされているのでしょうか?
石森:地震が起きると突発的に何百万というリクエストが増えるので、その対応はとても難易度が高いです。NERVではクラウドを活用し、キャッシュにあてることで高速にレスポンスを返すなど、さまざまな工夫を施しています。
たとえばログイン機能があると情報を内部で取得する処理が必要な分、キャッシュにあたらなくなってサーバーが落ちやすくなってしまうので、つけていません。また広告も、その表示時間がネットワークの負担になり遅延要因になるので導入していません。
糠谷:広告は災害時に不要な情報ですし、ネットワークが汚染されてウイルス詐欺が横行したり、アプリの起動に支障をきたすという弊害もあります。いざという時に外的要因でアプリが正常に起動しないリスクを排除するため、入れていないという側面もあります。
石森:アプリ単体での収益化はネックではあるのですが、アクセスが増える災害時ほどお金が入ってくる仕組みになってしまうことが気に入らなくて。広告がついていたら、災害が起きる度に「今がかき入れ時」という構造になってしまうのが嫌だったというのも理由のひとつです。
── 信念のような部分もあるのですね。では具体的にどのような仕組みで、スピードを実現されているのでしょうか?
石森:一例として、昨年9月にリリースした「強震モニターレイヤー」の場合。この機能は日本全国の今現在の揺れをリアルタイムに表示するもので、防災科学技術研究(防災に関する科学技術の研究を行う文部科学省所管の国立研究開発法人)に専用サーバーをつくり、専用回線を引いたNERV専用のシステムを備えていただきました。リアルタイムにデータをいただきつつ、毎秒膨大なリクエストを処理する必要がある上、常に更新しつづけなければいけないため、元のファイルを独自形式に変換し、大規模に配信できるネットワーク上に構築しています。
石森:また、シングルフライトという仕組みも取り入れています。一般的なコードでは、アクセスの回数分バックエンドにデータを取りに行って戻ってくる仕組みを組みますが、それでは膨大な一斉アクセスに耐えられません。そこで、同時に来た同じリクエストをグループ化して1回だけバックエンドからデータを取得し、グループ化したリクエスト全てに結果を返すという形をとっています。
こうした工夫により、システムの負荷を減らして少ないリソースで大量のアクセスをさばけるようにしています。
あらゆる要因を考慮した結果生まれる、プッシュ通知の心地よさ
── 緊急地震速報に代表されるプッシュ通知は、NERVにとって重要な機能ですね。特にこだわっている部分はありますか?
石森:「通知の心地よさ」でしょうか。たとえば、氾濫危険水位に関する通知の場合。河川の水位は常に上下しますし、潮位の変動によっては満潮時に氾濫危険水位を越える観測点などもあります。そのため、一定水位を越えたら自動的にプッシュ通知を送るような愚直な設計ではユーザーに何度も通知が送られてしまうので、最初の1回だけに制限したり、潮汐計算をして天文潮位と一緒に水位があがっている場合は洪水ではないと判断して通知を送らないようにしています。
── さまざまな要因を総合的に判断して送付する仕組みになっているのですね。
石森:基本的には、数値に関係するあらゆる要因を事前に考慮して計算の中に組み込んでいます。ただし、潮の満ち引きとの連動だけは考慮できていなくて。機能リリース後に「雨が降っていないのにやたら通知が来るな」と感じて検証したところ、その連動に気づくことができました。
河川とは異なりますが、地点登録が複数ある場合も通知が何回も来てしまうので、端末ごとにまとめて通知を1回に絞る処理を施すなど、通知に関してはさまざまな要因を網羅的に考慮して計算を組んでいます。
── とても骨の折れる設計だと思いますが、やはり重要度が高いのでしょうか?
石森:通知って何度も来ると見なくなってしまいますし、無効にされてしまったり、最悪の場合アプリを消してしまうこともあり得ます。それは、ユーザー体験を悪くしてしまった僕たちに責任があると考えています。
それに、災害に見舞われているユーザーにとって、余計なプッシュ通知はうるさいですよね。そういったユーザー体験をはじめにしっかり想像し、自分がユーザーだったら災害下でどんな通知がほしいか熟考してから設計をはじめ、実装しています。スタートアップなどであれば「まずは動くようにして、後から改善する」という考え方もあると思うのですが、NERVの場合は全てを整えてからの実装がほとんどです。
蓄積した災害対応の記憶が、次なる機能へとつながる
── 「強震モニターレイヤー」が早速能登半島地震の際に力を発揮するなど、追加される機能がしっかりニーズを捉えているように感じます。機能追加の優先順位はどのように検討しているのでしょうか。
糠谷:昨年6月に「河川水位情報」をリリースした際は、6月は大雨のシーズンで毎年災害が起きているし、7月6日は毎年大雨特別警報が出ている認識があったので、それまでに実装しなければと前年の9月から動き出しました。ただ正直に言うと、「虫の知らせ」のように降りてくる感覚が元となっているんですよね。
── たしかに天候に関係するものは、過去の気象データなどから一定予測することができますね。ただ地震や津波に関しては、周期的な予測はなかなか難しい。
石森:2021年に「津波観測情報」をリリースした背景には、2011年の東日本大震災から10年という節目のタイミングを迎えてなお、津波情報が不足しているのではないかと感じたことがあります。「この10年間、我々は一体何をしていたんだ」と。このままでは次に大きな地震が来た時に後悔することになると思い、絶対に2021年内に津波情報を充実させなければと考えました。
無事に2021年内にリリースできたのですが、その後すぐ2022年3月16日に福島県沖で津波があって……。だから本当に虫の知らせのようなもので、僕たちは急に焦燥感に駆られるタイミングがあるんです。それが結果的に、大切なタイミングに間に合っているだけとも言えます。
── お話を聞いていて、おふたりとも過去の災害の情報や記憶がぽんぽん出てくることに驚きました。きっと皆さんの中にその蓄積があるからこその「虫の知らせ」なのではないでしょうか。
石森:それはあるかもしれません。NERVを通じてさまざまな災害に対応してきたので、「何月にあそこで震度xの地震があって、こんな被害があった」「何月に台風x号があの地域に上陸して猛威をふるった」などを鮮明に覚えている。その記憶があり、同じ失敗を繰り返したくないからこそ、次に備えてアップデートしていかなければと開発メンバー皆が思っているのが大きいと思います。またそういった時に「こういう情報が提供できていれば……」と気づくことで、次につながっている部分もあるかもしれません。
糠谷:実現までさまざまな壁があって5年かかりましたが、強震モニターレイヤーはアプリ立ち上げ時からやりたかったものです。だからこの5年間、地震が起きる度に「あの機能があれば……」と悔しくて。やっと最低限の機能が揃ってきましたが、僕たちの頭の中にはまだまだ入れるべき機能のアイデアが詰まっています。
反省こそが進化をつくる。現実世界の「特務機関」を目指して
── 日本は地震大国として、さまざまな辛い経験を経て災害対応の改善を重ねてきました。皆さんはその状況をどう見ていますか。
石森:気象庁や総務省の検討会にも委員として参加していますが、皆さん過去の反省を活かして改善しようと本気で取り組んでいます。東日本大震災では、第一報で予想される津波を6メートルと報じたことで「じゃあ10メートルのところに避難すれば大丈夫でしょう」といった考えを生んでしまい、結果的に30メートル級の津波が来たことで命を落としてしまった方もいる。その後、津波情報はマグニチュードが推定しきれない場合に、具体的な数字ではなく「巨大」など定性的な表現が取り入れられ、速報を伝えるアナウンサーの方も危機感を感じさせるような話し方へと変わりました。我々も、そういった周囲の進化に合わせてアプリをつくっています。
ただし情報は依存するもの、盲信するものではありません。津波の予想のように、省庁が出す情報ですら結果的に間違っていることはある。僕たちにできるのは、なるべく最新の情報を素早く伝えて判断材料にしてもらうことだけです。ユーザーの皆さんは判断材料のひとつと捉えて、情報を活用していただけたらと思います。
── 『エヴァ』にインスパイアされてはじまったプロダクトが、公共性・社会性の高い存在になってきていますね。
石森:権利元から名称使用の許諾をいただいたことが「『エヴァ』の看板を背負うのに、中途半端なものを出すわけにはいかない」という責任感につながり、大きなつくり直しも経て現在のデザインになっています。
もちろんあちらはエンタテインメントの世界、こちらは現実世界の防災情報ということでバランスには気をつけていますが、いい形で共存できはじめているように感じています。NERVは気象庁や国土交通省、防災科学技術研究所、放送局、そしてサポーターのユーザーまで、本当に多くの方々との関係性があって成り立っているプロダクト。そういった周囲との関係性もあって、やっと現実世界の「特務機関」に近づいてきたのではないかと感じています。
取材協力
ゲヒルン株式会社