なぜ点字ブロックにQRコード? 「shikAI」が変える視覚障がい者の移動の未来
都内近郊にお住まいの方ならきっと見かけたことのある、駅構内の点字ブロックに貼られた謎のQRコード。実は視覚障がい者の移動をサポートするあらたな取り組みだということ、ご存じでしょうか。さまざまな駅で導入が進む「shikAI」。その開発元であるリンクス株式会社の小西祐一さんに、着想から実装までお聞きしました。
小西祐一 | リンクス株式会社 取締役 相談役
リンクス株式会社 創業者取締役。大学卒業後、外資系IT企業、インキュベーターなどを経て起業。これまで3社を創業し、1社は上場、1社は上場企業に売却。現在は3社目のリンクスを立ち上げ中。
最近見かけるあのQRコード、実は視覚障がい者のためのもの
── 最近都内で地下鉄の構内を歩いていると、点字ブロックの上にQRコードを見ることが増えたなと感じまして。調べているうちに「shikAI」に辿りつきました。このQRコードは一体何なのでしょうか?
小西:QRコードをiPhoneのカメラで読み取ることで、視覚障がい者向けの音声ガイドを提供しています。駅構内での移動ルートを導き出して、現在地から目的地まで案内するアプリサービス「shikAI」として、2017年3月に実証実験が始まり、現在は大手町駅や明治神宮前駅などを含む13駅で導入されています。
── shikAIのサービスは、どのような経緯で立ち上がったのでしょうか?
小西:もともと弊社はハードウェア製品の開発などを手がけていたのですが、8年ほど前から「視覚障がい者のために何かできないか」と考えるようになりました。当時は自動運転やAIなどの技術が話題にあがる一方、視覚障がい者が事件に巻き込まれたというニュースを見かけることも多く、技術力を活かした社会貢献の意識が芽生えていたんです。
そこで移動に着目し、東京メトロのアクセラレータープログラムで視覚障がい者の移動を支援するシステムの構想を提案したところ無事採択され、このプロジェクトが始まりました。
── 移動に着目したのはなぜでしょうか?
小西:移動の自由は基本的な人権であり、重要な要素です。犯罪を犯して収監されているわけでなければ、移動はあらゆる人に認められたものですから。
視覚障がい者の移動の自由を守るには、地方は別として都心部であれば、やはり公共交通機関である電車を使った移動がポイントになるだろうと考えました。何度も利用する最寄り駅までは、白杖と街の音や匂いなどのヒントを頼りに辿りつけるとして、問題となるのは乗り換えです。ハブになる場所がキーになると考え、乗り換え駅にフォーカスすることにしました。
1年観察しつづけた光景の中に、ふっと舞い降りたヒント
──shikAIはQRコードと点字ブロックを組み合わせたサービスですが、はじめからこの仕組みで考えていたのでしょうか?
小西:実は、はじめのうちはずっとBLEビーコンというBluetooth(無線電波)を使ったビーコンで検証していました。良いものがあれば、自分たちでゼロから開発しなくてもいけるのではないかと考えたんです。でも、どれだけ試しても上手くいかなくて。
ネックになったのは「向き」に関する情報です。向きは、無線では確認できません。
視覚障がい者にとって、向きに関する情報はとても大切です。今いる場所が認識できたとしても、どちらを向いているかが認識できなければ、進む方向がわかりません。健常者の場合、近場なら目視できるので向きに関する情報が不正確でも問題にはなりませんが、視覚障がい者の場合はそれがどんなに近くの場所でも、手が触れる瞬間まで案内が必要なのです。
Ultra Wide Band(超広帯域無線通信)などでも検証してみたものの、精度はあがっても向きに関する情報がないので、根本的な解決にはならず。ビーコンの研究をしている大学を巻き込んでみたものの、それもうまくいかず。「どうしよう……」と当時は本当に夜も眠れませんでした。
──行き詰まった時期があったのですね。QRコードを使う現在のアイディアには、どのように辿りついたのでしょうか?
小西:無線を使う場合も、スマートフォンを手に持って歩く必要があります。画面を見る必要はなく、ただ手に持って歩いている状態。検証のために、その様子を1年以上に渡って毎日のように観察していたある日、ふと「スマートフォンのカメラが、下を向いている……?」とハッとして。
駅構内の移動であれば、基本的には点字ブロックの上を辿るはずです。ずっと点字ブロックの上を歩きつつ、スマートフォンのカメラを下に向けているのであれば、これらを組み合わせたらいいのではないかと気づいたんです。この組み合わせを活かすのにもっとも妥当だと考えたのが、QRコードでした。
──技術起点で考えたのではなく、観察の中での気づきから着想したと。
小西:そうですね、ただ本当に頭がおかしくなるほど何度も何度も検証を重ねて、やっと見つけた発見です(笑)。東京メトロのトレーニングセンター(新卒研修などをおこなう施設で、本物の駅と同じホームや改札の設備がある)をお借りしておこなっていたほか、オフィスの床に点字ブロックを貼って駅のホームを模した一画をつくり、そこで毎日のように検証を重ねていました。
QRコードを思いついてからはとんとん拍子で話が進み、実際に有楽町線の辰巳駅で検証させてもらえることになりました。
──どのような仕組みで、目的地への案内を導き出しているのでしょうか?
小西:QRコード自体はただの数字データですが、データベース上に各QRコード間の位置関係を定義して格納しています。読み込んだ瞬間に「どこのQRコードか」「どの方向から読んだか」を解析することで場所と身体の向きが特定でき、それによって目的地に向かうためには直進なのか、右折なのか、左折なのかなどの指示を割り出しています。
ちなみに、QRコードが消えてしまわないように工夫もしています。ブロックの仕様に合わせてサイズは9cm×9cmとし、中央に穴をあけました。これにより、点字の上に乗ることなく底面部分にぴったり収まるんです。富士フィルム製のシートで耐久性が高いとはいえ、都心部のこの移動量では、踏まれてしまうとどうしても溶けてしまいます。点字ブロックの底面に収納することで踏まれにくくなり、長く使えるものになりました。
視覚障がい者にも迫りくる、少子高齢化の余波
── 視覚障がい者の生活の実態について教えてください。デジタルデバイスは、どの程度利用されているものなのでしょうか?
小西:今はiPhoneにもボイスオーバー(読み上げ機能)がありますし、視覚障がい者にもさまざまなアプリを活用している方は確かにいらっしゃいます。ただし、そこにもいくつかの問題があります。
ひとつはデジタルデバイドの問題です。現在の視覚障がい者の多くは40代、50代の頃から徐々に視覚を失っていって、60代で完全に見えなくなった中途失明の方。彼らはガラケー世代ですし、物理的なキーがあって使いやすいガラケーを最近まで使っていたこともあり、スマートフォンに慣れていません。そこに格差が発生しています。
もう一つが、情報障がいの問題です。現在ウェブ上の情報の中には、動画やイラストなど音声での読み上げが不可能なものも増えています。ウェブサイトでは動画やイラストなどに説明書きが入っていないことが多く、どんな情報が載っているかわからないという状況が多々あるのです。
── ガイドヘルパー(視覚障がい者の移動を介助する人)は、どの程度利用するものなのでしょうか?
小西:新しい場所に行くときには、ほぼ100%の確率で同行します。ただし少子高齢化が進み人口も減りつつある現在、ガイドヘルパーも高齢化しており、総数としても多くはありません。今後その確保が困難になることも予想されており、現状でも予約が数週間先になってしまうこともあるそうです。
またガイドヘルパーがいることによる安心感はありつつも、視覚障がい者当人からは「ひとりの時間がほしい」という声をお聞きすることもあります。どんなに親しくなったとしても家族ではないので、パーソナルスペースを求める気持ちはどうしても生じます。
さらに、ガイドヘルパーの同行には当然お金もかかります。移動費用はもちろん、たとえば音楽ライブに行くにも外で待たせるわけにはいかないから……と2名分のチケットを購入するという方も多い。どこに行くにも、2倍のお金がかかってしまうのです。
そういったこともあり、視覚障がいを途中で発症すると、ほとんどの方は数年家から出られなくなってしまうといいます。だからこそ技術を使ってサポートすることで、望めばひとりで移動できる状態をつくりたい。shikAIが、まず一歩外へと踏み出す勇気に繋がればと思っています。
10秒で何を伝えるか。安全への願いを込めた音声情報のデザイン
── サービスづくりについても教えてください。そもそも「見えない」という利用者の感覚を理解しながらつくるのは、なかなか難しそうに感じます。
小西:ユーザー視点で考えるために目をつぶってイメージしてみるものの、やはり一度見た光景は記憶に残ってしまうので、どうしても「見えないつもり」になってしまいます。
それを回避するためにも、やはり大切なのは観察です。自分では「こう動くはず」と思っても、実際に使ってみてもらうと、想像していた動きとは全く異なる反応があるもの。それをつぶさに観察することが、何よりも重要だと考えています。
── サービスをより良いものにするために、特に重要視している点は何でしょうか?
小西:音声ガイドで伝える情報の精査でしょうか。シンプルな仕組みだからこそどういう音声ガイドを提供するかが重要で、何を伝えて何を伝えないか、日々模索しています。
まず大切なのは、多くの情報を入れすぎないこと。「たくさん情報がほしい」と要望をいただくこともありますが、情報が多すぎても覚えきれない上に、意識がとられて動きが固まってしまうもの。shikAIでは、10秒に収まるよう精査しています。
ユーザーからは「全体として自分がどの方向に向かっているのかを教えてほしい」という声もいただきますが、情報が俯瞰的すぎると逆に混乱させてしまうので入れていません。結果的に、「直進3メートル、その先のブロックで右折」のようなシンプルな案内になっています。
やはり乗り換え駅は人も多く流れも早いので、逆流してしまったり人がたくさん横切ったりして衝突の危険があります。そのため、多少は身構えながらでも「ガイドを聞きながら気をつけて移動しよう」と思ってもらえる方が、結果的には安全に移動できるはずです。我々にできるのは情報提供だけ。何をどのように提供したら安全でスムーズな移動を実現することができるのか、常に模索しているのです。
── 視覚障がい者の中でも、移動に慣れた人とまだ慣れていない人では感じるハードルも異なりそうです。
小西:そうですね。ユーザーは移動に慣れた方だけではないので、難易度の高い場所でどのような情報を提供するべきかも悩ましい問題です。
視覚障がい者の歩行スキルは、クランク(点字ブロックのルートが曲がる部分)への対応を見るとわかります。クランクにあたったら、白杖を大きく振って左右どちらかにあるブロックの続きを見つければ良いのですが、慣れていない方は道を見失ってパニックになりがち。そのためshikAIでは、「2時の方向に白杖を振って、点字ブロックの続きを探してください」と伝えたりしています。
こうしたことも、検証の中で彼らの動きを観察し、それを元に音声ガイドに取り入れていくその繰り返しで実現しています。僕らがずっと言っているのは「shikAIは視覚障がい者へのラブレター」だということ。彼らを守ることを願い、一生懸命考えて、音声ガイドの文言を書く。それに尽きるのではないかと思います。
解決への執着こそが、本当に価値あるサービスを生み出す
── 着実に導入駅も広がっています。サービスの価値をどう考えていますか?
小西:「目的地まで必ず辿りつけること」が、当たり前に重要だと考えています。ほかの多くの視覚障がい者向けナビゲーションアプリなどは、それが実現できていないようにも感じます。なぜなのか……推測ですが、やはり執着が足りないのではないでしょうか。
私たちは、クレイジーだと言われるほど何度も検証を重ねてきた自負がありますし、そのシンプルな目的が達成できないのであれば、サービスを展開するのはやめようという覚悟もあった。「電車を乗り換える」ことがタスクであるならば、それができることを担保しなければならない。shikAIにあるのは「必ず送り届ける」という執着心だと思います。
── ユーザーの方からはどんな反響がありますか?
小西:温かいメッセージを多数いただいていて、一番嬉しかったのは「居場所がひとつできたように感じました」というものです。精神状態の変化や行動変容があったということだと思うと、そう思える場所をもっと増やさなきゃと奮い立たされます。
shikAIは間違いなく視覚障がい者の役に立てるという自負はあるものの、正直国の財政も厳しい中でこのような少数のためのサービスにお金を頂いて広げていくべきなのかという点については、ジレンマを感じることもあります。限りある資源の配分として、便益を得られる人があまり多くはないものにどこまで投資する価値があるだろうか、と。
それでも、やっぱりこうやって嬉しい声をお聞きすると、頑張らなければと思ってしまいますね。
── 現状の達成感、そして課題感について教えてください。
小西:大手町駅という特に大きな乗り換え駅への導入はひとつの到達点ですし、推し進めてくださっている東京メトロにも感謝しています。
一方でコロナ禍がなければ、おそらく2020年の東京オリンピック前にはかなりの駅に導入できていたはずなので、現状はまだまだだと感じます。東京メトロ以外にも導入するには、国土交通省の発行するバリアフリー整備ガイドラインに掲載されることがひとつのポイントになるのですが、掲載してもらうには多くの導入実績が必要という「鶏が先か、卵が先か」状態に陥っており、苦しい思いも感じています。
それでも、点字ブロックというインフラにQRコードを貼らせてもらっている以上、使い続けられるようにしていく責務も感じています。実はこのような広く流通している技術と仕様を採用した背景には、仮に私たちがshikAIを継続できなくなった場合でも、QRコードの番号を収集すればそれを使って別の方がサービスを組み立てることができる、という目論見もあったりします。ユニークなコードは、その提供者が破綻すると、読み取ることもできなくなってしまいます。
── そのようなことも考慮されているのですね。shikAIのように意義のある取り組みを志すデザイナーも多いと感じます。その際に大切なことを、最後に教えていただけませんか。
小西:技術があればとりあえずのものはつくれますが、それが本当に課題を解決できるものかはまた別の問題です。「何かつくること」ではなく「本当に課題が解けること」にフォーカスし、限界まで執着してみてください。
その際、重要なのはピボットです。四六時中問題について考えて過ごし、徹底的にアイディアを検証し、それでもダメならピボットして違う方法を試してみる。そうこうしているうちに今までにない組み合わせが見つかり、本当に役立つソリューションや仕組みが生まれてくるものです。
取材協力
リンクス株式会社