機能ひとつにもにじむ現場の切実さ。行政の声を受けとめる「Build&Scrap」のデザイン
近年デジタル庁の牽引もあり、デジタル化が進みつつある行政の業務とそのシステム。ただ多くの方にとっては馴染みが薄く、実態が見えない部分が多々あるのも事実です。今回は、そんな行政に対して「予算編成」を切り口としたプロダクトで変化を仕掛けるWiseVine社にお話をお聞きしました。
吉本翔生 | 株式会社WiseVine 代表取締役社長
野村総合研究所でエネルギー・気候変動政策を専門として国内外の行政への政策立案に係るコンサルティングに従事。本業の傍ら、慶応義塾大学で途上国の自治体職員向けに気候変動政策に係る講義を担当。行政におけるリソースアロケーションに課題感を持ち、2018年3月にWiseVineを設立。
飯塚まり子 | 株式会社WiseVine プロダクトデザイナー
デジタル系のプロダクト・サービスのデザイナー兼ディレクター。toB向けのサービスを得意とし、特に情報設計・UIを長く経験。シード期に近いスタートアップに関わることも多く「サービスが成長するのに必要なことをやる」がモットー。2023年2月よりWiseVineに参画。
行政の進化と伴走する予算編成システム「Build&Scrap」
── まずはじめに、WiseVine社のプロダクト「Build&Scrap」について教えてください。
吉本:「Build&Scrap」は、国や自治体などの行政が政策や事業に関わる予算のPDCAを高度化し、業務を効率化するためのシステムです。政策の立案(Build)や統廃合(Scrap)の促進を目的としており、予算編成や予算執行管理などの経営管理を担当する財政課をメインに、知事・副知事といった経営層の方々も利用しています。
── 一般的な Scrap&Build ではなく、Build&Scrap としているのはなぜでしょうか?
吉本:表裏ふたつの意図があります。表にあるのは、問題解決を目指して事業を起こす現場の意見を重要視すべきだという考え方。行政が新しいことに挑戦するには、各自治体の部局(現場)で予算を獲得して事業化する必要があります。その時、いらない事業を削減して余ったお金で新しい事業をやるというスクラップ前提の考えではなく、やりたい事業を構築してから予算上限を鑑みてスクラップするという順番であるべきだとする考えを込めています。
一方裏にあるのは、行政の「枠予算(枠配分)」の仕組みとの連結です。
「枠配分」とは、あらかじめ推計した翌年度の財源を、一定のルールで各部局に予算編成前に配分し、各部局がその範囲内で自主的・自律的に部局単位の予算原案を作成する方法です。
(出典:ジチタイワークスWEB https://jichitai.works/article/details/268 )
吉本:与えられた予算の中で各部局が主体的にやりくりできるこの仕組みは、合意形成の本質であり行政の事業を新陳代謝する唯一解だと考えています。Build&Scrapではこの考えに則り、やりたいことを決めてその予算だけを聖域化し、その重点事業に押し出される形で、それ以外の事業が一律で縮減されることを機能の中に織り込んでいきます。
── そもそもどういった経緯で予算編成に着目したのでしょうか?
吉本:以前横浜市の行政に関わっていた時に彼らが問題点としてあげたのが、事業がどんどん増えてしまい、うまく予算編成ができないことでした。民間企業であれば、損益計算書や貸借対照表から貢献していない事業を割り出して対処することができますが、行政では基本的に無駄な事業はありません。一人でも受益者がいれば止めることができない故にそのような状況になっているという事実は、現場を支援すればいいと考えていた僕にはとても衝撃的でした。現場ではなく、マネジメント側の支援が必要でした。
── 既存事業が止められないとなると、新しい事業に予算を確保することは難しくなりますね。
吉本:それでも行政の進化には、新しい方向への予算の捻出量とその効率的な活用との掛け算が必要と考えます。
現状、国の予算は高齢者に対する医療費や介護費などで年間約40兆円(全予算の30%程度)近くを消化しており、教育関連経費の割合は約5兆円(同5%程度)です。1兆円でも医療・介護費から未来に向けた教育費に財源を振り向けられれば、どれだけ効果があるでしょうか。GIGAスクール構想で日本の子供たちにPCを配りましたが、一人5万円で一学年80万人だとして、6〜18歳までの全員にPCを配っても4,800億円です。毎年のフローなら400億円。単純計算で、仮にその25倍のお金を毎年子供たちにかけられると考えれば、どれほどのイノベーション規模かが分かるはずです。
予算編成は、集めた税金を再分配する装置だからこそフォーカスすべきだと考えています。
想像以上に根深い紙文化の実態を知る
── デザインはどのようなプロセスで行っているのでしょうか?
飯塚:基本的な流れは他の業種とそこまで変わりません。私も1年ほど前に入社したのですが、まずは社内の蓄積や文献から情報をインプットし、吉本さんがこれまでに考えてきたことを伺い、それらをプロダクトに落とし込むためにラフを描くところからはじめました。ドメインスペシャリストの方々からもキャッチアップをして、壁打ちを重ね、フィードバックを頂きながら理解を深めていく……といったプロセスで進めています。
── どのような部分に、行政の業務の特異性を感じましたか?
飯塚:やはり紙がコミュニケーションの中心となっている点でしょうか。承認をもらうには紙を回してハンコを押してもらう繰り返しが必要で、どこかで異議があがれば、また最初からやり直しになってしまいます。複雑な承認のフローを最後まで走り抜ける必要があるものの、それをすべて紙でおこなっているんです。
吉本:そうなると、財政課が持っている予算要求書のマスターと原課(各案件を担当する課)が持っている部署のマスターとで数字が一致しないということも起こりえます。一般的には、業務遂行上不可欠な作業は紙でおこなわないと思いますが、行政の予算編成は現在も紙でおこなわれているので、双方を突き合わせた目視での確認が絶対に必要になるわけです。それをシステム化で解決するのが Build&Scrapです。
ひとつの機能、ひとつのデザインが、数億の意思決定を左右する
── プロダクトづくりでは、どのようなことを大切にしていますか?
吉本:まずはとにかくシンプルにすること。最初から複雑に機能をつくりこんでも、業務フィットしていなければ結局は使われないことがほとんどです。シンプルなベースをつくり、一回それで回してみて、フィードバックを得ながら解像度をあげていくべきだと考えています。
そうは言っても、プロダクトマネージャー(以下、PdM)にはお客様からたくさんの機能要望が集まってきます。Build&Scrapはいくつかの機能を複合的に活用することで業務の効率化を実現するシステムを目指しています。それぞれの機能はなるべくシンプルにつくりたいと思っていますが、お客様の複雑な業務を機能化するのは決して簡単ではありません。お客様が何を課題に感じていて、システムでどんな価値を提供できるかを、PdMだけではなくデザイナーや開発も一緒に考えることで、質の高いシステムが提供できると感じています。
── デザインに関するお客様の要望には、どのようなものがありましたか?
飯塚:皆さんずっと紙でやってきているので、紙を模したレイアウトを求められることがあります。でもそれはWebシステムとしては、不要な場合もあります。また、より上流の課題や目的からシステムのレイアウトを考えて行くべきです。紙を模したレイアウトにした時点で、Webシステムとして本来の価値を発揮できない部分も出てきてしまうので、懸念を感じる部分があればしっかりと会話をするようにしています。
吉本:現状の業務はExcelの帳票がベースなので、Webシステムとしての実現は新しいUXの開発と言えます。800ほどの機能が必要であり、それらを全てUXを考慮してつくるのは現実的ではないので、一次的にExcelを模したデザインにすることもあります。
飯塚:はじめはOOUIの概念や操作性に寄せた原型をつくるのですが、話していく中で「現状のレイアウトにこだわりがあって……」というところがどうしても出てきます。ただそういった場合も、要望を取り込みつつ、双方の意図を汲んだ折衷案を模索するようにしています。
大切にしているのは「なぜそうしているのか?」と背景や理由を探ることです。単に慣例でそうなっている場合もありますが、何かしらの理由があることがほとんどなので、それを伺った上で提案するようにしています。
──理由としてははどんなものがあるのでしょうか?
飯塚:たとえば、複数の事業のデータを次へ次へと表示を切り替えていく「送り機能」。事業の一覧画面で詳細の階層に潜ってひとつずつ情報を確認し、一覧に戻ってもらえばこと足りるので、当初この機能はなくても問題ないと考えていました。
でも話を聞いていくと、とにかく優先度が高いんです。現状は10cmほどある分厚いファイル数冊分の資料を準備して、ページをめくって見せながらフィードバックやレビューをおこなっているそうで、その体験を再現したいのだと。
吉本:僕たちは「一覧と詳細を行き来したり、タブを複数開けばいいのでは?」という感覚だったのですが、それではダメだったんです。なぜなら、送り機能を使う財政課長など上位層の方々の時間のリソースは限られているから。彼らの1分1秒がどれだけ大切かということを痛感しましたね。機能の有無や見え方、出来ばえによって、数十億円という事業の採否や意思決定を変えてしまうという切実さは、日々これだけ密なやりとりをしていても、まだまだ学ばなければと感じます。
飯塚:何が大切なのか、どれぐらい重要度が高いのかという感覚や、その作業にどれぐらい時間がかかっていてどんな辛さを抱えているのかという理解が足りていなかったことを痛感しました。一方で、それだけのインパクトを持ったプロダクトに関われることは魅力でもありますね。
「落としどころ」の先にいる、多様なステークホルダーまで見据えて
── アジャイルな開発体制をとっているそうですが、行政のシステムづくりにマッチするのでしょうか?
吉本:フロントに立つPdMたちが日々現場の切実な声に相対して抱く厳密で繊細な感覚と、エンジニアの持っている一般的なアジャイル開発の感覚との間には、どうしてもギャップがあります。先ほどの送り機能のように、億単位の影響を及ぼしかねないものが多々ある中でのアジャイル開発は、本当に難しいです。
── お客様の切実さを受け止めつつ、どのように実装する機能の優先順位やデザインの落としどころを決めているのでしょうか?
飯塚:個人的な意見ですが、どんなにデザイナーが理想的なUIを具現化したとしても、使われなければ意味がありません。一方で「一旦はこれで」と落としどころに納めたものであっても、その過程の中で業務の背景や先方の意見などを学びとることができれば、次につなげることができるはずです。短期決戦でベストなものを目指すのではなく、学びを得て次につなげることを織り込んで一旦は妥協して進めるという選択肢も持ちながら、落としどころを探っています。
吉本:結局は「業務ができるかどうか」なんですよね。代替案がないものは優先順位は高くなります。面倒だけどできないわけではなく代替案もあるなら次点になりますし、おしゃれにしたいという要望であれば、さらに次点の扱いになります。
── 「おしゃれにしたい」という要望もあるんですね。
吉本:ありますよ。スタートアップの論理からすると、基本的には後回しにせざるを得ません。ただし今、国のシステムにも関わっているのですが、最終的に広く国民皆が見るものになることを考えると、一概にそうもできない難しさを感じています。さまざまなリテラシーの方が広く見るのであれば、プロダクトの論理よりもぱっと目につく表層のデザインに焦点があたりがちなので、色合いやスタイリングなどもないがしろにはできません。そのデザインで関係者を落胆させてしまったら、ミッションは失敗とも言えるわけですし。
飯塚:一般的なスタートアップの論理と異なる部分も多いので、優先度を読み間違えていたなと反省することは多々あります。普段やりとりしている財政課の方々や原課の方々などはもちろん、さらにその先にいるステークホルダーまで想像を巡らせられるように、日々フィードバックなどから気づきを得ることを心がけています。
吉本:行政の皆さんもリスクをとり、周囲を説得して僕らに依頼してくれているので、そこまで織り込んでつくっていかなければと日々感じています。行政の方々の手足を縛るさまざまなしきたりを理解した上で、満足のいくプロダクトを届けることで、僕らのビジョンでもある「行政の進化と伴走する」を実現していければと思います。
行政のあるべき姿を構想し、プロダクトに込める
── これまでの経験は現在の開発のスタンスにどのように影響を与え、どのように活きていますか?
吉本:以前別のプロダクトであまりうまくいっていなかった時に、「人の痛みを知って、お客様が喜ぶものをつくれ」とある官僚に喝破されたんです。その言葉を受けて、向き合っていた横浜市の財政課が欲する財政見える化システムをつくったのが Build&Scrapの始まりです。実はその当時からより広い業務範囲をカバーできるシステムを構想していたのですが、好評を博したことでそのシステム案全体の開発へと道が広がり、それが現在へと繋がっています。
求められているものをつくるのは当たり前のこと。お客様の希望を聞いて今の業務をそのまま置き換えたものをつくるのではなく、その先のあるべき姿をこちらで深く考え抜いて、プロダクトに落とし込むことが大切だと思います。
── Build&Scrap のプロダクトづくりに、デザイナーとしてどのようなおもしろみを感じていますか?
飯塚:GovTechという領域でありながらドメイン知識やフィードバックを得やすく、理解を深められる環境がある分、本当に使ってもらえるプロダクトをつくれているのではないかと感じています。直接話して業務に対する理解を深めながらプロダクトを磨いていけるからこそ、デザイナーとして提供できる価値も広がっているなと感じます。自分や周囲の生活がもっと良くなるといいな、より良い世界になっていくといいなという想いを原動力として、これからも取り組んでいきたいと思っています。
── 最後に、これからの展望についてお聞かせください。
吉本:今WiseVineには行政出身の方がたくさん入社しているのですが、これだけドメインを大切にするからこそ、お客様のUXを考え抜いたものづくりができているのではないかと思います。
現在は、SAPなど民間の経営管理の仕組みをモジュール化して考え、行政でどう取り入れるべきか構想しています。予算編成とは、本来はお金だけでなく人も含めたリソース配分のことであり、今後は人材のアサイン管理や調達システム、資産管理にも波及していくはず。そうやって行政のマネジメントそのものを高度化していくことが、今後の僕たちの展望です。
取材協力
株式会社WiseVine