デザインもコーヒーも定石はなし。心地よい体験を丁寧に焙煎するデザイナー、高見祐介
人にはそれぞれ思想や世界観があり、その元となるインスピレーションやルーツがある。一見ひとつひとつはランダムな点に見えても、それらは線となっていまの活動のなにかの糧になっているはずだ。だから、さまざまな人がさまざまなデザインをするのだ。
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今回はデザインの方程式や定石の先にある心地よい体験や感動を追い求め続ける、電通国際情報サービスのデザイナー、高見祐介さんのクリエイティブルーツを探ります。
1. 仕事やものづくりへの哲学、こだわりはなんですか?
「デザインに正解はない」ということに対して常に疑問を抱きながら自分なりの問いを立て続けることですかね。
私がデザイナーというキャリアを歩みはじめたとき、先輩に「デザインは数学である、計算すれば答えがでる」と言われました。たしかにそれに従い、課題解決の手段として定義・法則を学んだことで、仕事の効率や品質は大きく上がりましたし、自分自身の成長を感じることもできました。「巨人の肩に立つ」といったことわざがあるように、そこそこに成熟したこのIT業界では大抵のことはすでに定石とされる方法論があります。
これにはある種の正しさを感じつつも、私はそれに疑念を抱きました。この考え方を大きく否定したいわけではないですが、我々デザイナーは「人間」を相手にしており、求める課題解決は環境や条件によって複雑に変わってくるため、単一の最適解を方程式として導かれるほどシンプルではないと思うからです。
数学的な計算で導かれた答えは最短効率的ですが、ある課題に対しては誰にでもできる陳腐なソリューリョンしか導けなくなるでしょう。目指すべきは、一定の基準は満たしつつもその先にある価値の創出です。認識を環境要因や世の中の潮流にあわせて常にアップデートしながらクリエイティブに向き合うことです。
現在の仕事でも、マーケットデータを元に定石に近づきつつ市場のニーズに見合ったデザインは強く求められますが、現場ではそれが果たして正解なのか、それを問い続けて悩むこともまたデザインの愉しさだと感じています。組織の中のデザイナーとして、個人のデザイナーとして、向き合い続ける必要があると感じています。
2. あなたが仕事をはかどらせるためにやっていることや、愛用しているものがあれば教えてください。
毎朝のコーヒーですね。自分で生豆を仕入れ焙煎したコーヒーを仕事の前に必ず淹れることが日課となっています。アウトドア好きが高じて、キャンプの朝にコーヒーの豆を鍋で焼く体験をしたところ、豆の煎られる香りがある空間の心地よさにやみつきになりました。とても上質な時間を過ごした気分になります。こんなご時世ですので健康的な心身のパフォーマンスの保ち方としてアウトドアや野山を走るトレイルランニングなどを合わせてリラックスできる趣味として楽しんでいます。
トレイルランニングは自然の森の中の独特な静寂の中で自分の内面と向き合うことができます。デジタルデトックスにもなりますし、心とカラダの細かいコンディションの変化を直に感じることができます。足は痛いし体も当然しんどいですが、鳥の鳴き声や風の音などに耳を傾けることで普段では得られない神秘的なインスピレーションを感じることができる素敵な時間です。
コーヒーはすっかり沼にハマってしまい、次第に一度に焙煎する量が多くなり、いろいろな機材を買ってしまいました。一週間でいろんな種類の豆を焼くのですが、せっかくなら体験を共有したいとトレイルランニングの仲間におすそ分けしたのがきっかけで、いまでは趣味の域を越えてコーヒー豆のオンラインショップも運営しはじめました。
その流れから、自然とロゴもパッケージもストーリーもすべて自分でちゃんとデザインしようという考えになったわけですね。細かいものなら領収書から包装や配送手配、業務フローに至るまでデザインプロセスを丁寧に。いままでの職能体験が活きていることを感じます。最近は自宅だと手狭になってきたのでそのうち本格的に焙煎所を兼ねたアトリエを作るのはひとつの目標でもあったりします。
3. あなたが影響を受けた人は誰ですか?
広告デザインの仕事がきっかけで知り合ったコミュニティディレクターの佐藤尚之(さとうなおゆき)さんには大きな影響をうけました。
私が広島のデザイン会社で勤務していたときに彼にお会いしてから、いまでもお付き合いさせていただいています。クリエイターとしても経営者としても、間近で多くの刺激を受けています。自分が広告デザインからマーケティングやユーザー体験などへ興味転換したきっかけにもなりました。
たとえば電通時代の彼の代表的なクリエイティブディレクション、『スラムダンク1億冊感謝キャンペーン』『星野仙一優勝感謝新聞広告』シリーズなど、終焉を迎えたときに長年愛読してくれたファンに感謝の気持を伝える新聞広告が印象に残っています。
なにかを購買させるための広告ではなく「応援してくれてありがとう」というアフターメッセージとしての広告という在り方は斬新で、従来の広告業界の方程式には当てはまらない独創的なアイディアでした。廃校の黒板で感謝を伝える演出も素敵です。作品のファンに対する新しい提供価値の答えを導いた発想は、当時20代前半の私には衝撃的でした。
パズルのように型にはめたような美しさではなく、作品としての物語の継承や世代を超えたコミュニティに感動を受け継ぐようなクリエイティブへの向き合い方は、いまの私のデザイナーとしての仕事感に対して大きく影響をあたえています。
4. あなたのデザインや考え方のルーツとなったコンテンツはありますか?
使い捨てカメラです。
高級なカメラが持てなかった学生時代の想い出ですが、当時の使い捨てカメラ(インスタントカメラ)は画質が荒くて失敗したら取り返しがつかない。さらに現像には別途お金がかかる。現代のスマートフォンの備え付けのカメラのような気軽さはありませんでした。一方で、制約が多い中での撮影で自分がなにを表現できるか考えると無性にワクワクしました。
カメラを構えることでアーティストになった気分になれる、こんな体験がある種、私のデザイナーとしてのルーツだったのかもしれません。自分が指揮し、友達にポーズをとってもらうなど空間を演出することで世界観をディレクションすることができます。その場にしかない時間を切り取り、みんなの想い出を彩ることができる素敵な時間でした。
いま考えれば、インスタントカメラのようなツールを使えば当時の学生でも気軽に表現者としてアイデンティティをつくることができたので、その時系列で限定的に価値を発揮したものじゃないかと思います。製品としての質も現代とは比べられませんが、ひと手間かけた行為や不便なモノを通してでしか得られない特別な体験や価値があるということは、先程のデザインに対する哲学に通ずるものがあると感じています。
5. 10代の頃に好きだったものやハマっていたことはなんですか?
当時はラジオにハマっていました。なにかのきっかけで自分がリクエストした曲が、DJに初めて取り上げられたことがきっかけでラジオが欠かせない存在になりました。しかも、長年愛聴していた番組の最終回だったんです。「赤坂泰彦のミリオンナイツ」という番組ですね。この番組は、当時のヒット曲、いわゆるJ-POPへのリクエストが多い一方でビートルズなどのオールディーズからコミックソングなど広いジャンルを取り扱っていたため、音楽の知識を広げる機会になりました。
当時の若者にとってインターネットは当たり前のコミュニケーション媒体ではなかったので、数少ないメディアでのオンラインコミュニケーションだったと思います。多感な悩みをラジオに相談して、曲をリクエストする。DJから個人に向けてのメッセージが送られる。自分が感じた共感を世の中に発信できる魅力的な体験です。
いまではどんな情報も簡単に手に入るようになりましたが、ラジオはいまでも毎日聞いていますよ。やはりちょっとした安心感がありますね。
6. 最近「いいデザインだな〜」と思ったサービスやWebサイトと、なぜ良いと思ったかを教えてください。
トレイルランニングの遠征で何度か訪れた長野県の地元密着型のWebメディア「SUUHAA(スーハー)」です。ユーザーの目線としても現地の豊かな森林やその中の体験にある、例えにくい「心地の良さ」がダイレクトに表現されているように思えます。
このメディアは地元メディア「ジモコロ」の編集長である徳谷柿次郎さんが手掛けたものなのですが、長野という地域や豊かな自然を形容する表現として「スーハー」という言葉を生み出し、コンセプトから由来するクリエイティブの全体性がとれています。さらにその着地点が人と自然が共に豊かさを目指すコミュニティに向かっている点で非常に興味深いです。
私は以前「Jimdo(ジンドゥー)」という、誰でも簡単にWebサイトを作成できるサービスの体験設計をしていました。ドイツ・ハンブルクで生まれた海外のサービスを、当時ノーコードツールがそこまで主流ではなかった時代に日本へ持ち込む試みは随分と苦労しました。どれだけ機能が画期的であれども一般の方に定着するには一手が足りない。なにかが波及して持続性を見出すためにはコミュニティの醸成が大切であるということを理解しました。
そのころは頻繁に地方へ訪れ、ITに詳しくない一般の方にレクチャーしたり、Jimdoでサイトを作ったりして、地元の魅力を発信するお手伝いをしていく中で、自分が知らない魅力的な人やモノ、コトが日本中にあるという発見がありました。美しいデザインや計算された設計に加え、スーハーのような人気(ひとけ)を感じるような、風土や温度すら見えてくるようなコンテンツ作りが受け手を魅了するのだろうと感じています。
その時代に合わせてマーケティング戦略としての定石や方程式があるとは思いますが、私たちはあくまで人間を相手にしています。コミュニティ設計をビジネスとして数学に当てはめると一種の「ダサさ」が際立ってしまいます。本質的に心地よい体験や感動を創るには地道に追い求めなくてはなりません。大変難しいことですが、そういうことを追いかけ続けるのってワクワクしませんか?
関連リンク
高見さんのWebサイト:https://yusuketakami.com/